先週末、久しぶりにウォーキング学会に参加した。
最後に参加したのは2022年のことだったから4年ぶりとなる。学会の開催日程が10月に変更になったことから、入試業務と重なって参加できなかったからだ。
ところが、昨年、私の後任の元会長(Y氏)から連絡が来て、「学会に来い」とのこと。いきなり参加できないので「来年一緒にシンポジウムでもやろう」と返したところ、今回の特別講演「歩くを哲学する」が企画された。
それはさておき、冒頭に二人が各々の想いを発表することになっていたので、私は
「岡部宏生の一日」
を紹介した動画から話を始めた。
岡部宏生については、以前にも紹介したが、私の大学時代の親友で、20年ほど前にALSを患って3年後に人工呼吸器を装着。5年目からは文字盤だけを介して難病支援活動に人生をささげ、昨年夏に息を引き取った。
彼が立ち上げたNPO法人のホームページで紹介されているその動画は、「介助者がいればALSでも充実した人生を過ごせる」ことを伝えるために彼の一日を紹介したものであり、その途中に、家から出て車椅子で街中を散策する場面が出てくる。
その「散歩」の場面の画像を提示した上で、
「岡部君は歩いているのでしょうか?」
と、会場の聴衆に問いかけたのだった。
そもそも「哲学」とは「問いを続ける実践」なのであるから、「歩く」という行為に対して疑問を投げかけることが私の講演の主眼であって、そこでは、
「歩きには身体の動き(ロコモーション)が必要なのか?」
という問いかけが含意されていた。「歩数」とか「エネルギー消費量」といった数字で表される「歩き」は、常に「身体の動き」を前提とする。しかしながら、「歩かない(運ばれている)ウォークについても研究対象としても良いのではないのか?」という問題提起を行うことが、今回の私の講演の主眼だったのだ。
(続)
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男