WWNウエルネス通信 (2026年5月10日):「生きていること」の大切さ

私の親友である岡部宏生君が、昨年7月に息を引き取った。

私の大学時代の馬術部同期(彼は中央大学)であり、享年は67歳。

「若い」とも言えるが、彼は20年前の2006年春にALSの確定診断を受けて、3年後に人工呼吸器を装着。一昨年の夏には急に体調を崩して一時はコミュニケーションが途絶えた(植物人間状態になった)こともあって、私より長生きできないだろうとは想定していた。

彼は、人工呼吸器装着後は「寝たきり」での24時間介護を受けながら、介助者を通じたコミュニケーションによって難病患者支援のための訪問介護事業所を設立。社長として事業所経営にあたるとともに、ALS協会副会長・会長を経て、2019年にNPO法人を立ち上げて理事長として難病患者支援のための活動に尽力してきた。

 その間、様々な講演活動や社会活動を実践するとともに、2016年5月には障害者総合支援法改正に関して参議院厚生労働委員会で参考人として陳述したことも、社会に大きなインパクトをもたらした。

 そんな彼が晩年に注力したメッセージは「生きることの意味」。ことに、京都で起こったALS患者嘱託殺人事件で、「動かない身体で生きる意味はない」という当事者の絶望が報じられたことに関して、「何かを果たすこと=doing」も大切だが、それよりも「生きていること=being」自体に意味があるのだと訴えていた。

 私は、この考え方に100%賛同しているのだが、同時に「生きているだけで良いのか?」という反論を抱く方の気持ちも理解しているつもりだ。「寝たきり」を余儀なくされて24時間の介護・介助が必要となったときに、「他者に助けてもらっているばかりで自身が何もできない」ということに引け目を感じる方や、「そうなりたくない」と思っている方がいらっしゃることも事実だからだ。でも岡部は、そのように感じさせてしまう社会のありようこそが問題なのだと考えていたのだと思う。もちろん、今の社会が「そのような社会」であること自体を否定するのではなく、それを受け入れたうえで「生きている意味」に疑問を感じてしまう人が一人でも少なるような社会を目指したのが、「生きていること=being」の尊重というメッセージなのだ。

 そして、彼が「being」という言葉を使うときに同時に添える日本語は「一緒に生きる」あるいは「共に生きよう」という言葉であり、だれもが孤立しないで(社会の中で)一緒に生きていることを喜び合える社会を目指して使われた言葉なのだ。

 それにしても、岡部ほど「doing」に固執して、「ただ単に生きているだけ」という時間を持とうとしなかった輩はあまり多くないだろう。だから彼が「being」という言葉で大切にしていたのは、「目的を持たない人生」なのではなくて、誰もが何かを達成する目標を持てるようになる社会であり、だからといって目標を持たずに生きたとしても「生きていること」自体を喜べる社会なのだと、私は確信している。

「doing」も「being」もどちらも大切に感じられる生き方を誰もができるようになることを、私は望んでいる。

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

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