さて、久しぶりに参加したウォーキング学会で、
「歩きには身体の動き(ロコモーション)が必要なのか?」
という問いを投げかけた私の試みは、聴衆の多くにすぐに受け入れられていたようだった。というのも、私の話の前に行われた講演のテーマが
「ドローンと空飛ぶ車」
だったことも幸いしたようで、多くの参加者は、ウォーキング(=歩くこと)が包含する「移動(モビリティ)」の側面に注目していた直後だったからだ。
ともあれ、Y氏との対談は和やかな雰囲気でトントンと進み、残すところ10分ほどになったとき、Y氏が会場にいたK先生を指名した。K先生は、ウォーキング学会に毎回参加して研究発表をしてくれる方で、ランニング愛好家としても知られていた。
「ランニングの観点から歩くことへの問題提起をしてほしい」
というY氏の期待をよそに、K先生はいきなり、「持病の腰痛のせいで数年前から走れなくなった」と漏らす。それどころか、今月に入って腰痛が悪化して、最近は歩くこともままならなかったという。今回の学会も演題を申し込んではいたものの、参加はあきらめていたとのこと。ところが、二日ほど前から奇跡的に歩けるようになって、今回ここに参加することができたのだという。
「歩けなくなったことは本当に絶望的でした」
と結んだK先生のお話を聞いて、私は直ちにマイクを取った。
》歩けなくなると『絶望的』になるのは、『歩けること』に価値を求めすぎるからで、
》「歩けるようになる方策」を研究するのも良いことだけれど、
》「歩けなくても絶望しない」という状況を産み出すための方策を研究することも、
》この学会の重要な役割なのではないか?
と提案してみた。
「歩かないと歩けなくなる」とか、「歩いていれば健康に過ごせる」などといったメッセージを当たり前に信じていると、「歩けなくなることへの不安」や「歩けない絶望感」を生じさせることにつながるだろう。
そういう意味では、岡部宏生はALSを患って一時は絶望の淵に沈んだものの、
「動けなくなっても充実した人生を歩み続けるためにはどうすればよいか?」
を問い続けて実践してきた達人なのであり、自分だけでなく多くの難病患者が充実した人生を歩めるようになることを夢見て尽力してきたのだともいえる。
「人生の歩み方」を研究することもまた、ウォーキング学会の課題なのかもしれない。
(了)
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男