過日(4月10日)、「山手線ウォーク」を愉しんだ。
2014年から始めた“ウエルネスウォーク”のコースづくりを当初から5年ほど担ってくれていた北川さんが、「山手線ウォークをやりたいとの意向」をお持ちだとの話を耳にした。ウォークの最中に橋本さんから聴いた話だったので正確ではないのだけれど、メールを振り返ってみると、最初(2月12日)のメールでは、
「山手線一周ぶらりウォーク」「山手線一周ウォーク」
とあった。そして、日程調整を終えた2月14日のメールでは、
「山手線沿線ぶらりウォーク」
と記されていて、1週間前(4月3日)の確認メールでは、
「山手線沿線ウォーク」
となっていた。
もちろん、橋本さんとしても、「一周」とか「ぶらり」という言葉を精査して意図的に入れたり入れなかったりしているわけではないと思うのだけれど、私は何となく、「一周する」のだと勝手に思い込んでいた。でも、「山手線沿線を歩く」ということの愉しさが、必ずしも「一周」だけにあるわけではないということを感じさせられた。
それはさておき、当日の朝、「西武池袋駅正面(1階)改札口近くの宝くじ売場前」に10時に行くと、北川さんと橋本さんが待ち構えていた。「池袋スタートで時計回り」ということは聞いていたので、ある程度のコースは想定していたが、北川さんから見せられた地図には、田端までの山手線沿いの徒歩ルートが記されていた。一部、山手線の外側と内側とで複数のルートがある場合や、巣鴨のとげぬき地蔵などのスポットに寄るルートなどが点線で付記されていたが、おおよそイメージできる道だったので、私は地図を持たずにスマホマップを確認するだけで歩き始めた。
西武池袋駅を出て東口歩道を北上し、ビックカメラ手前の交差点で左の脇道に入る。
線路沿いを北上すると道路と線路の間に細長い公園(池袋駅前公園)があって、「池袋水天宮」の幟が目に留まる。その「池袋水天宮」は公園内に鎮座していて、昭和3年に日本橋水天宮のお札を祀ったのが由来とのこと。そもそも「水天宮」とは、源平合戦で敗れて入水・死去した平清盛の妻(時子)・娘(徳子)・孫(安徳天皇)の三方の御霊をお祀りしたのが、久留米水天宮の始まりとされているらしい。そんなことも知らずに日本橋の水天宮あたりを歩いていたことを恥じながら公園内を先へ進む。
スロープを登って線路を渡る歩道橋の上から、山手線の線路を眺め、「いよいよ山手線を巡るのだ」との決意を新たにする。歩道橋を降りて山手線の外側沿いを歩き、六又陸橋をくぐって明治通りに出る。その交差点(堀之内橋)の横断歩道で明治通りを渡ると、眼下に山手線の線路が見える。
ここで、少しおさらいすると、池袋駅東口に面する道路は「明治通り」であり、そこでは明治通りの「地上」は山手線の線路と同じ高さ(標高)だった。その路面を線路沿いに歩いてスロープを登ったわけだから、歩道橋上で山手線を「眼下」に見るのは当然として、その歩道橋を降りて、一度は山手線と同じ高さの歩道を歩きながら、明治通りに向かって坂道を登って「堀之内橋」に到達したといわけだ。歩いている私としては、坂道を登って歩道橋で山手線を跨ぎ、さらに降りて一度は線路と同じ高さを歩いたが、さらに登って明治通りの「堀之内橋」で山手線を再度跨いだわけであるから、歩いている身としてはなんら不思議ではない。しかし、その明治通りの「堀之内橋」は、池袋側の六又交差点から中山道側の上池袋1・2丁目にかけて地続きで、どちらかというと、山手線が切通しに掘られているようにも感じる。よくよく思い出してみると、次の大塚駅では山手線の線路(駅)は高架となっていて、「地面の上」を通っている。
山手線は、「山手を通る線路」ということを含意する命名なのだが、池袋から駒込のエリアは、同じ「山手」とはいえ土地自体にアップダウンがあって、標高の高いエリアでは地面を掘って切通しとなり、標高の低いエリアでは地面の上の高架を走りながら、池袋(標高32.3m)から駒込(標高20.4 m)まで緩やかに下っているということだ。
(続)
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男