「4月から東工大の教授になります」
こんなメールを磯野真穂さんからもらったのは3月末のこと。
彼女は、30年近く前のゼミ生で、卒業後にトレーナーを目指してアメリカの大学院に進み、1年後には専攻を替えて人類学の修士号を取って帰国。早稲田大学で文学の博士号を取得して、助教を経て某地方大学で准教授を務めていたものの2020年に退職。「独立」した。
その間、拒食症を題材にした著書「なぜふつうに食べられないのか」を皮切りに、医療や健康に関する数々の書を著している。
彼女のような鬼才は「大学」という枠の中では過ごしにくいのだろうと思っていたのだけれど、「東工大リベラルアーツ」は彼女にぴったりの職場であり、「教授」という仕事を思う存分果たしてもらえることと、今から楽しみにしている。
それはさておき、「きっと大学を辞めた後の活動が評価されたのですね」と返信したら、その通りだったようで、慌てて彼女の最近の著作を調べてみたら
「他者と生きる~リスク・病・死をめぐる人類学(集英社新書)」
に出会う。早速読んでみたところ、まさに秀作。私がこの10年ほど思いめぐらせていた迷想の隙間を埋めてくれる解法を与えてくれた。
もちろん、磯野さんは彼女なりの想いとメッセージを込めて著わしたのだろうし、私が勝手に読み解いたものにすぎないのだけれど、本書によって私の思索が一気に進んだことは間違いない。ちりばめられた言葉の断片は、きっと多くの学者のピースを埋めたことだろう。
あくまでも私の理解の範囲にすぎないのだけれど、本書の肝は「関係論的人間観」。
でもその前に、これを説明するための準備として、磯野は、「平均人」という考え方を解説する。「平均人」とは統計学的に導かれた人間像のことで、例えば「50代の男性」というカテゴリの人は「高血圧だと脳梗塞にかかりやすい」という特徴を持つと捉えられる。そのような「平均人」を前提とすると、一人一人の病の苦しみが隠れて見えなくなっていく。痛みを訴えても「異常ありませんね」とあしらう医療は「平均人」への眼差しから発生するのだ。このような「平均人」の概念を根底で支えるのが「統計学的人間観」なのだという。
現実にはどこにも存在しない「平均人」が集団に先行して存在し、それが集団の客観的特徴を表すという思考基盤に基づいて、「目の前で苦しんでいる人を助けるのではなく、病気を引き起こしうる危険因子を確率論的に見出し、その確率を下げることで、将来ある病気になる可能性を下げようという医学の思想的変化」が生まれるのだという。
磯野さんの解説はまだまだ続くのだけれど、長くなるので、ここらへんで一息つくことにしたい。
(続)
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男
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