WWNウエルネス通信 (2024年3月28日):「エビデンス」がもたらす陥穽

先週「エビデンス」という言葉の誤解について述べた。

忘れないうちに慌てて補足すると、1990年代にEvidence-based Medicine(EBM:科学的根拠に基づく医療)という語が広まった直後から、医療の現場では誤解されることが多い。ものの本(斎藤清二著、医療におけるナラティブとエビデンス~対立から調和へ)によると、EBMとはどのようなことなのかということに関して、大きく3種類の考え方があるのだという。

 一つは「正統派」と呼ばれる考え方で、「個々の患者の臨床判断において最新最良のエビデンスを良心的に用いる」ということであり、「エビデンス、患者の意向、臨床能力の三者を統合する臨床実践」という考え方だ。平たく言うと、「最新のエビデンスを伝えることを前提として患者の意向を尊重する」ということ。これが現在医学の中核的な考え方である。

 二つ目は「ガイドライン派」で、「集積されたエビデンスに基づいてガイドラインを作成し、標準化された医療実践を行う」という考え方だ。「エビデンスありき」という考え方に基づいて「誰にも同じ質の医療を施す」ことが重視されるために、「個々の患者の意向」が入り込む余地が限られる。

 三つめは、「伝統科学派」と呼ばれる考え方で、医療における科学的根拠だけを重視して、医師や患者の主観的判断を排除する。でも実際は「何をエビデンスとするのか」は医師に委ねられるので、医師中心の医療という意味では「ガイドライン派」と類似している。

 さて、前回申し述べた「エビデンスに基づく運動」という考え方は、上記の3つの中では三番目の「伝統科学派」の考え方に近い。というよりも、そもそも運動やスポーツを楽しむだけの場面では「エビデンス」という考え方が入り込む余地はないのに、「健康のために」と標榜されることで、その「効果」を保証するエビデンスが求められるようになる。でも、そもそも「健康」という目標のありようは人それぞれなのに、そこに人類共通の「健康」という目標があるかのように装うことも、「エビデンス信奉」の説明のからくり(レトリック)の中に潜んでいる。

今から70年以上前、病理学者のR.デュボス氏は以下のように述べた。

》人間が健康と幸福を切望するのは当然である。

》しかしながら、これらの言葉は、通常の生物的概念を超えた意味を持っている。

》人間がいちばん望む種類の健康は、必ずしも身体的活力と健康観に

》あふれた状態ではないし、長寿をあたえるものでもない。

》じっさい、各個人が自分のためにつくった目標に到達するのに

》いちばん適した状態である。

「エビデンスに基づいた運動」という言葉が広められるとき、そこには「健康的な生活のありよう」について、(例えば「メタボ」のような)共通の基準が設定されているのであって、「各個人が自分のためにつくった目標に到達するのにいちばん適した状態」が目標とされているわけではない。

私たちは「エビデンス」という言葉が一人一人の多様な意思や嗜好を抑圧する可能性を秘めていることに、もっともっと注意を払った方が良いと、私は思うのである。

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

1件のコメント

WWNウエルネス通信 (2024年5月7日):「ウォーキングの効果??」 – 中村好男の世界 への返信 コメントをキャンセル