WWNウエルネス通信 (2024年3月19日):「エビデンスに基づく運動」という誤解

先日、研究室で郵便物の整理をしていたら、日本健康運動指導士会の会報(No.195、2024/1)を見つけた。「年頭の辞」ということで会長の言葉が掲載されていて、その中に次のように記されていた。

「特に疾病のある方や体力が低下している方への運動指導では、エビデンスに基づいた安全で効果的な運動プログラムの提供と適切な運動指導の実施が不可欠であり、…」

この文章は、とても正当なものであり、決して奇妙だとか間違っているなどと申し述べるつもりはないのだが、私の悪い癖で、少し言葉尻が気になった。

気になったのは「エビデンス」という言葉。

「エビデンス」という言葉は、一般には「根拠」や「証拠」または「裏付け 」という意味合いで用いられており、例えば、「領収書」は「支払った根拠」として、経費支出のエビデンスとなる。健康づくりの分野でエビデンスという語が使われ出したのは30年ほど前からのことで、Evidence-based Medicine(EBM:科学的根拠に基づく医療)という語が広まったことを端緒とするものである。20年ほど前にはEvidence-based Health Promotionなどと提唱する学者もいたほどで、フィットネスや運動指導の分野でもエビデンスという言葉を使う人がちらほらと現れたりしていた。

私が気になったのは「エビデンス」という言葉についての誤解である。

そもそもEBMは、1991年に提唱されて全世界の医療界を席巻した考え方なのであるが、あまりにも大きな影響を与えたことから、それを受け入れる(活用する)人々の間で多様な解釈が跋扈している。1996年には、EBMの定義とその誤解について詳しく解説する論文が発表されたほどであり、医学界の核心ではブレてはいないものの、医療の現場では誤解されることも多いようだ。

例えば、ある専門家は、「EBMとは何らかの疾患者一般について、一般的判断を行うことと混同されることが多い」と述べて、「高血圧の患者が来たら誰にでも降圧薬を投与するのが正しいといった誤解につながる」と言う。

もちろん、各々の高血圧患者に降圧薬を飲んでもらうかどうか否かは、エビデンスだけでは決まらないし、「高血圧患者には降圧薬」というエビデンスだけで処方する医師は皆無なのだが、一般の人々にとっては、エビデンスに依存(信奉)することだけが正しい処方だと信じ込まれてしまうケースも多いようだ。

さて、冒頭の「エビデンスに基づいた運動プログラム」の話に戻ると、フィットネスの分野では「その運動にはエビデンスがあるのか?」とか「エビデンスに基づいた運動指導が必要」などといった言い方で使われることが多くて、「エビデンスを信奉する」というか「エビデンスに支配されている」というような雰囲気さえ感じることもある。このままだと、「エビデンスのある運動を万人に提供するのが使命」であるかのように誤解する指導者が現れてしまうかもしれない。それはあたかも「どんな高血圧患者にも一様に降圧薬を処方する」という異常事態と同じことだ。

健康のためとはいえ、運動やスポーツは、それを行う人が自分の体験として価値づけられるからこそ意味を持つのであって、「運動不足の人にはこの運動」というような単純なものであるはずがない。もちろん、件の会長の言葉も、それを十分に踏まえたうえで用いられた言葉なのだけれど、昨今は「エビデンス」だけを金科玉条にする人もいるので注意が必要だ。

それが、私が気になった「言葉尻」なのであった。

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

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