WWNウエルネス通信 (2024年4月21日):「他者と生きる~(3)個人主義的人間観」

さて、前報、前々報で、磯野さんの著書「他者と生きる」の中から、平均人について縷々説明してきた。

WWNウエルネス通信 (2024年4月19日):「他者と生きる~(1)平均人という常識」

WWNウエルネス通信 (2024年4月20日):「他者と生きる~(2)平均人=統計的人間観」

一人一人の個性が埋没しかねかいこのような統計的人間観に基づく平均人の語りに対抗するように、1990年代から2010年台(おおよそ平成の期間)にかけて「自分らしさ」が大切にされる風潮が生まれてきたのだと、磯野さんはほのめかす。SMAPの「世界に一つだけの花」に代表されるように、平均的な価値観とは違う自分だけの価値観が大切にされた。一般尺度で測られる「ナンバーワン」ではなくて自分だけの「オンリーワン」という言い方も流行った。平成末期の厚生労働白書では、「自分らしく老いる」とか「認知症になっても自分らしく暮らして最後を迎える」などと、もはや「行政用語の地位すら獲得したようだ」と、磯野さんは指摘する。平成とは「自分らしさ」に救いを求めた時代であったとも語る。

このような「自分らしさ」を大切にする人間観を、磯野さんは「個人主義的人間観」と呼ぶ。ところが、磯野さんは、このような「自分らしさ」であっても、社会の標準(規範)から自由なのではなく、社会規範の制約のもとにあるのだという。社会規範としての「平均人」の価値観(例えば、良い大学に入って大企業に就職して幸せな老後を過ごすという価値観もその一つだろう)から脱却して「自分らしい生き方」を求めるとしても、社会規範から逸脱した生き方が許されるわけではないという。例えば、安楽死を望む人がそれを決行して亡くなったとしても、その生き方(死に方)を無条件に「自分らしい」と認めるかどうかという事に関しては、今の日本では賛否両論であろう。いわんや、自分らしさ(自分の意志)を完遂しようとして他人を殺めた人の行為を「自分らしい」と称賛する余地は、今の日本には存在しない。

 そこでいよいよ、磯野さんは「関係論的人間観」という新たな見方を提案することになるのだ。

(続)

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

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