WWNウエルネス通信 (2023年11月16日):「朝に弱い」と語られたことについて僕が考えたこと

私が担当する講義の課題で、「自身の健康問題」について回答してもらった。

病を患って苦労している学生もいたのだけれど、ほとんどの学生は普段はあまり意識していない自分の身体の調子や生活を、あえて振り返って「健康問題」を省みてくれたようだった。「腰痛/膝痛/腰椎分離症」などといった整形外科的症状や「喘息/花粉症」などのアレルギー疾患も多かったが、「睡眠障害」も少なくない。その多くは「睡眠不足」といった症状なのだけれど、興味をそそられたのが「朝に弱い」という訴え。

当人も、「朝という限定的な場面で起こる身体症状であるために健康問題かどうかは不明瞭」と書き添えていたけれども、「私にとっては重大な身体症状」とのこと。「幼い頃から異常なほどに早起きが苦手で、毎日寝床から起き上がることが辛く、時間を要する。起きてからもしばらくはぼうっとした状態が続くため、午前中の用事は負担に感じてしまう」と続く。「…小学校から高校までの間、朝起きられずに登校できない日もしばしば」とのことで、こうなると、ちゃんと卒業できたのかと心配になる。

ところが、「メールという手軽な連絡手段があったからこそ先生や友人と綿密にやり取りができ、進級・卒業ができるようなサポートをたくさんしてもらった」という。学校に行きたくない(不登校)というわけではないので、友達や先生との連絡ができることは彼の勉学環境を大いに救ってくれたのだと思う。「進学した全日制高校で進級が難しい状況になってしまった」とのことだが、「通信制高校に転校するという選択ができたために、現役で大学に進学することができた」という。

こうして、私の授業を受けることになったのだけれど、さらに「大学に入ってからもオンデマンド授業の充実から、1限を減らして体調が崩れないような時間割を組むことができている」というわけ。私の授業も、あらかじめ私が講義動画を収録して学生が好きな時間に受講できる「オンデマンド授業」なので、彼の学習にとって好都合だったのだろう。

それはともかくとして、私がここで感じ入ったのは、「朝に弱い」という当人の抱える症状に対して「朝に強くする=自分を変える」という指向に触れていなかったこと。「朝寝坊」という言葉があるくらいだし、世の中には「朝起きるのがつらい」と感じる子どもも多いはず。きっとこの方も、「すっきり起きる」ことができるようにと、「早寝早起き」を習慣づけようとしたり「眠れないこと」に悩んだりなどと、自身の生活や心身の状況を変えるように尽力したのだろうけれど、そのようなことには一言も触れられていない。もしかしたら、「しっかりしなさい」と叱咤されたこともあるかもしれない。

思えば、それらはすべて「朝に弱い自分を変える」という努力なのだ。

そもそも、人はどうして朝(決められた時間)に起きなければならないのか。当然のことながらそれは、学校とか会社とか、社会の仕組みに《参加》するために生活時間を適合させなければならないという宿命があるからだ。これは朝に限らない。夜勤に従事している人ならばそれが夜に移行するだけで、遅刻が許されないという意味では同じこと。つまり、私たちが社会参加するためには社会の時間に合わせなければならない。そして、それに合わせて「起き」なければならないということだ。

 このあまりにも当然の常識を、彼の語りはあっさりと覆してしまう。つまり、「朝に弱い自分」を変えるのではなくて、「先生や友人」を自分のために動員して、自分の学習環境が整えられたと言うのだ。もちろん、それができたのは「メール」とか「通信制高校」といった世の中の制度の進化のおかげ。「朝に弱い」子どもであっても万全の学習ができるように社会システムが変わっていけば、「朝に弱い」というその子の特性を犠牲にしなくても済む。

 そういえば私たちは、社会の仕組みや他者の要請に適合させるために自分を変えるという努力を、どれだけ多く積み重ねてきたことだろうか。中には、他者や社会に適合することが苦手で「生きづらい」と感じる方も少なくないのではなかろうか。「自分が変わらなければならない」という呪縛にとらわれるのではなく「社会が変わる」という解法に期待することも、世の中を生きる知恵の一つなのではないかと思う。

「学生の語りに学ぶ」というのも、大学教授の喜びの一つなのだろう。

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/