今から55年ほど前。小学校3年から6年(1966年から70年)まで。
私は、北海道千歳市に住んでいた。
自衛官だった父親が千歳(第七師団)に転勤となって、同地の官舎に家族で移住したのだった。
小学校3年生といえば、社会科で「自分の暮らすまち」を学ぶ頃で、「千歳から北海道」という「自分の暮らす地域」が、私の社会学習の起点となったのだった。5年生の頃だっただろうか。北隣の恵庭町の工業団地に森永乳業やカルビー製菓の工場ができたらしく、
「やめられない止まらない…」
というテレビCMのスナック菓子製品がその工場と関係していると知ったのもその頃だった。高学年の遠足では、徒歩で森永乳業の工場見学に出かけた記憶もある。
札幌には、母に連れられて時々出かけた。当時は(おそらく信号がほとんどなかったようで)「弾丸道路」と呼ばれた国道36号線を走る特急バスに乗ると、途中、「恵庭」-「島松」と通るのだけれど、気が付くと札幌・大通にあるバスターミナルに着いていた(たぶん寝てた)。実は私は、鉄道(当時は汽車と呼ばれていた)に興味があったのだけれど、(不便だったようで)一度も乗せてもらったことはなかった。その千歳線は、千歳から恵庭までは国道とほぼ並行して進むのだけれど、その先は国道がまっすぐ北西方面に進むのに対して、鉄道は少し右に折れて北に進んで「北広島」という駅を経由して上野幌-白石を経て札幌駅に向かう。
当然、一度も乗らなかった千歳~札幌間なので、私にとって北広島という駅は「国鉄時刻表」の中でしか遭遇しない空想の土地だった。でも、そこが「広島村」という地名だったことは、社会科の地図で学んだ。そしてそれは、いつしか「広島町」と改称されていたのだった(1968年)。
別に、「行ってみたい」と思ったことは、当時は一度もないのだけれど、社会科の地理学習が日本全国に及ぶ前に、野球の「広島カープ」で「広島」を知っていた私としては、「広島村」と「広島市」の関係が気になったりもしていた。
結局のところ、北海道在住時には一度も訪れたことがなかったので、「なぜか気になる広島町」というのが当時の私の思い出だ。
それはさておき、私が「北広島」を訪れることになったのは、2019年夏のこと。ちょうど、北海道日本ハムファイターズが新球場を構想していて、私が編集している雑誌(Sports Business Management Review誌)で、その新球場構想記事を掲載するにあたって、巻頭インタビューの対象として上野正三・北広島市長を取材した時だった。
まだ造成前の新球場建設予定地を視察してから北広島市役所に向かう。取材後に北広島駅まで歩く途中で「開拓記念公園」に寄って、「廣島村この地にはじまる」の碑などを見たりした。
その北広島の新球場(エスコンフィールド)も竣工し、4月からゲームが始まった。そして、いよいよ今週(6日から)は「広島カープ」との交流戦がエスコンフィールドで繰り広げられる。チケットもほとんど売れているようで、盛況を期待している。
言い忘れたが、私にとっての北広島の思い出は、55年前に芽生えた「開拓者への眼差し」であり、北海道各地のいたるところで感じられる「入植・開拓者たちの開墾の証」の一つだったということなのだ。
北海道の大玄関口となった千歳空港と中心都市・札幌の中間に位置する北広島は、北海道の中核の一つとして、これから大きく発展していくだろうと確信している。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男
[…] ついでに、夕刊の番組表を見ると、同時刻にエスコンフィールドで行われる「日本ハムvs阪神」戦がNHKのBSで中継されていた。先週日曜日に浸っていた「北広島の思い出」は、火曜日からの広島戦での3連敗に終わってしまったけれど、エスコンフィールドで観戦した2万5千人超の入場者のほかに、放送や配信でさらに多くの方が視聴している(できる)という現実。そしてそれが、様々な関係者が果たしてきた技術革新の成果であることを実感した1日であった。 […]
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