昨日、ウエルネスウォーク「板橋区志村エリア散策(6.1km)」を歩いた。
前回報告したように、私は歩く際にふくらはぎを強く使う癖があるようで、ウォークの後にふくらはぎがこわ張ることが多かった。というか、私のふくらはぎは、子どもの頃から太くて硬く、大きく張り出していた。
魚住先生に、
「ふくらはぎがいつも張っているのですが?」
と尋ねてみたところ、
「歩き方が悪いのでしょう」
と即答されて、合点がいったのだった。
厳密にいうと、「合点がいった」のは、魚住先生の説明を聞いてから。
ふくらはぎは足関節(くるぶし位置)を伸展(正確には底屈)させるのだけれど、「ふくらはぎが張る」ということは「歩いているときに足関節を使いながら(底屈させながら)前進している」ということ。支持脚(身体を前に進める脚)が地面から離れるときには足先で地面を蹴り進むことになるので、ふくらはぎの収縮(足関節の底屈)で地面を後ろに押しながら進むのだと、私は思っていた。
私はそのように歩いていたし、そのことを「悪い」とは思ってもいなかった。
その「歩き方」が「悪い」という。
足(母趾)先で地面を押し進めるようにすると、ふくらはぎの最深層にある長母趾屈筋や長趾屈筋が使われるので、足関節をあまり底屈せずに(ふくらはぎの大きな筋肉であるヒラメ筋や腓腹筋をあまり使わずに)歩き進むことができるらしい。
そこで、早速、「足先(母趾の尖端)」を意識して歩いてみる。
だいたい、どこかを意識して歩くと、歩容が乱れて無茶苦茶な歩きになってしまうことが多い。だから、「あまり意識しないように(歩容が乱れないように)さりげなくつま先を意識する」という、なんだかわけのわからない歩き方。
当然のことながら、これまで(子どもの頃からずっと)続けてきた歩き方が、そう簡単に変わる(変えられる)わけがない。
4日たった今でも、きちんと歩けているのかどうか半信半疑(というかきちんと歩けている気がしない)のだけれど、それが「それまでとは違う歩き方だ」ということはわかる。どうしてわかるのかというと、足先の負荷を感じるから。そのような「足先の負荷」を感じながら歩き続けると、母趾(第1趾)に軽い痛みを感じるのだ。
誤解のないように慌てて付け加えると、「痛みを感じる」というのはダメ。ついつい「蹴りだす」ように歩いてしまうのも私に染み付いた癖のようなので、このまま歩き続けるともしかしたら母趾を骨折してしまうかもしれない。
ただ単に「足先」だけを意識して歩くのは危険だと悟った。
さて、冒頭のウエルネスウォークに戻る。
ウエルネスウォークはペースがゆっくりなので、蹴り進むような意識にはならない。その際、ときどき、「足先が地面を離れるときの足首の角度(ふくらはぎを使っているかどうか)」を意識してみる。もちろん、意識しすぎると歩容が乱れるので、ときどきチェックしては、それを忘れて無意識に歩く。ということを繰り返していると、何となく「ふくらはぎに負荷をかけない歩き」ができているような気がしてきた。
まだ、その成果は現れていない、というか、60年以上も無意識に続けてきた(身体に染み付いた)歩き方を簡単に変えられるとは思わないのだけれど、しばらくしたらその成果を報告したいと思う。
ちなみに、ここに記したことは、あくまでも(父親譲りの骨格と姿勢を持った)私自身のこと。大切なのは「自分の身体に向き合う」という考え方であって、「歩き方」自体ではない。だれもに当てはまることではないので、その「所作」や「意識」だけを真似しないでいただきたく思っています。
それにしても、昨日のウォークでは、モクレンやユキヤナギも見事に咲き誇っていたし、ソメイヨシノのつぼみがほころんで開花している輪も見えた。場所によっては、モモもツバキもウメも咲いていたし、百花繚乱というのは大げさとしても、歩きながらこれほど様々な花を目にした(気が付いた)のは、もしかしたら初めてだったのではないだろうか。
「自分の身体に向き合う」ことも大切だけど「季節に向き合う」ことの愉しさも感じた。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男
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