昨年12月。海老原宏美さんという方が亡くなった。享年45歳。
私は彼女と会ったことはないのだけれど、その訃報を私の親友(岡部宏生)から聞いた。
岡部は、十数年前にALS(筋萎縮性側索硬化症)を患って、数年後には人工呼吸器を装着して今では眼球の動きだけで自らの意思を伝え、障害者支援団体「境を越えて」の理事長として日々忙しく働いている。
その詳細は以前記したが、
要介護5という介護認定をはるかに超越した《24時間完全看護の》状況に置かれている苦労と身体の辛さを脇に置いたとしたら、その活躍は羨望の的と言える。
それはさておき、そんな彼の率いるNPO法人で理事を務め、彼の右腕として活動を支えていたのが海老原宏美さんであり、彼女の突然の訃報に呆然として途方に暮れているという連絡が、私にもたらされたのだった。ちょうど、年明けから始まるコラム集の編集に際して、彼女と岡部との対談記事を載せた縁で、海老原宏美さんの人生に興味を抱くこととなった。
海老原さんは、脊髄性筋萎縮症II型(SMA type2)という筋委縮が徐々に進む進行性の疾患者で、小さい頃はつかまり立ちもできたそうだが、物心ついたころから移動はすべて車いすで、20代半ばで人工呼吸器をつけたという。
詳細は省くけれど、彼女の母親は、「すべての人間は対等に生きるべき」という信念を貫き通した方だったそうで、彼女に障害があるからと言って特別扱いすることは一切なかったとのこと。小学校も普通学校に通い、健常児と一緒のクラスで学ぶことができたという。もちろん、当時は「養護学校義務化」が実施された頃で、普通学校での学習を支える介助者や支援者がいなかったので、お母様が介助者としてずっと付き添っていたそうなのだが、時代を切り拓いたお二人の信念とエネルギーに、ひたすら感銘を受けた。
そんな彼女の著作「私が障害者じゃなくなる日」を読んだとき、その帯に記されていたのが掲題の言葉。
「私に障害があるのはあなたのせいです。」
という言葉の下には、
「そう言ったら、おどろきますか?」
という文字も付されているのだけれど、読み進めるとその意味に合点がいく。
そもそも「障害」について彼女は、「社会における生きにくさのこと」と断言する。
以前は、「歩けない」とか「眼が見えない」というような機能不全のことを「障害」と呼称していたのだけれど、それは古い考え方であって、機能不全があっても「不便」が生じないような社会になれば、機能不全自体は「障害」とはならない。
「障害」を産み出す原因が当人の身体機能不全にある(身体を治すべきである)という考え方を「医学モデル」と呼び、その原因が社会環境にあると位置づけて社会を変えることで「障害」を取り除こうとする考え方は「社会モデル」と呼ばれる。
歩けなくて車いすで移動する方は街中の段差が不便で外出に支障をきたすわけなので、階段や段差がなくなれば、移動の「障害」は軽減する。眼が見えないと街の中にある看板や文字が見えないので情報を取得しにくいのだけれど、介助者がいれば「見えにくい」という「障害」は縮減されるし、伴走車がいればマラソンだってできる。
つまり、「障害者」を生きにくくしているのは、その身体機能不全そのものなのではなくて、障害(機能不全)を持った方を特別視して保護したうえで、障害者を除いた(健常な)方が住みやすくなるような社会を創ってきたことが原因で、障害者が特別で保護されなければならない存在として位置付けられ、「障害」を良くないもの、なくすべきものとみなしているということを意味しているのだという。
そして、
「私たちを障害者にしているのは社会の環境です」
と、主張するのだ。
つまり、これが、「私に障害があるのはあなた(社会環境)のせいです」という掲題のフレーズの真意だということ。
そういえば、車が中心の社会においては、主要幹線道路に設けられた「横断歩道橋」は、私たちの生活をずいぶんと「動きづらく」した。階段にエスカレーターやエレベーターを併設することで、「歩きにくさ」という「障害」はずいぶんと緩和される。鉄道は街を分断したけれど、線路を高架にしたりといった「社会環境の改革」によって、私たちの暮らしはずいぶんと向上したと思う。つまり、この40年間に、私たちは障害者のためだけではなく健常者にとっても「社会モデル」を推進してきたのだ。
「障害者手帳がなくても、50歳を超えたら新しい就職先が見つかりにくいし、小さい子供がいるお母さんは自分の時間を持ちにくいとか、機能不全がなくても、社会の中で生きづらさを感じる人はたくさんいます。」
と、海老原さんは続ける。
歳を取って「動きにくく」なったとしても、寝たきりになって「動けなく」なったとしても、それが「障害」とはならない世の中になったとしたら、私たちは安心して「寝たきりの人生」を謳歌できるのだ。私たちが「寝たきり」になることを恐れるのは、寝たきり状態の高齢者が生きにくい世の中だからだし、寝たきり状態を「良くないもの、なくすべきもの」とみなしがちな世の中だからなのだ。
海老原さんも岡部も、そんな世の中を変えていきたいと思って活動を続けてきた(岡部は今も続けている)。
介助者のお世話になって生きる人生を「当たり前」と感じられる社会を想像することで、岡部宏生の活動を支えたいと、心から願っている。
※1 海老原宏美著、「わたしが障害者じゃなくなる日」、旬報社、2019年。
※2 海老原宏美、海老原けえ子著、「まぁ、空気でも吸って」、現代書館、2022年。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男
[…] 前回紹介した、海老原宏美さんの著書「私が障害者じゃなくなる日(※1)」は、とても簡潔明瞭で読みやすい良書だ。 […]
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[…] 先に私は、障がいの社会モデルについて言及したが(7月24日、31日配信)、海老原宏美さんが「私が障がい者じゃなくなる日」と期待した未来の姿は、社会の人々(私たち)の認識の変化によってもたらされるものだ。その意味では、今後展開される「包括ケアシステム」は、私たちの未来の認識の総意として、いわゆる「障がい者」だけにとどまらずに、さらにいえば疾患者や高齢要介護者だけにもとどまらずに、子どもや子育て夫婦やブラック企業の社員や貧困者も含めた、様々な生きづらさを感じる人たちが幸せになるための標準的な生活環境として昇華していってほしいと切に望むところである。 […]
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