WWNウエルネス通信 (4月4日):「理論の氾濫とアルコール消毒」

今から50年以上前、1970年前後のこと。私が小学生あるいは中学生のころの社会科の地図帳には「ソビエト連邦」という国が記されていた。その西部のウクライナ地方は、「ソ連の穀倉地帯」と呼ばれていて、コルホーズとかソフホーズと呼ばれる集団農場があるとも教えられた。

当時はそれが「正しい知識」だったのだけれど、今ではそれは「過去の事実」にすぎないことはだれもがわかっているし、それを「失敗」と呼ぶ人もいる。つまり、この50年間で、「正しい知識」の内容が変わったということ。もはやウクライナ地方の集団農場のことを小中学校で教えることはないのではないだろうか。

もちろん、「社会」は変動するのだから、国境や体制が変わることもあるだろう。だからそれを、「正しい知識」が「正しくなくなった」などと言うことに違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれない。

でもこれは社会科に限ったことではない。例えば生物学では、50年前の常識の多くは忘れ去られているし、中には、それまで「正しい」とされていた知識が否定されることも少なくない。

ところで、じつのところ私たちは、小学校から高等学校まで、おおよそ、その時代の「正しい知識」を教えられてくる。ところが、大学に入ると、そのような「正しさ」がかならずしも盤石なものなのではなくて、その「正しさ」は年々更新されているのだということを学ぶようになる。

次々と更新される新しい知識を学び、知識が上書きされていくということを学ぶ場が大学であるといっても過言ではない。

そして大学院では、その「新しい知識」すなわち「新しい正しさ」を発見して、世の中の知識を更新する方法を学ぶことになる。博士課程に進めば、従来の常識を覆して新たな「正しさ」を発見することが求められる。その証が「博士」という学位なのだ。もちろん、学位を取得した後も、研究職に就いている限りは「論文」という形で「新しい正しさ」を産み出し続ける。

昨年(2020年)に世界中で刊行された論文は300万件超なのだけれど、これらのほとんどが、世界に「新しい知見」を提供する。だから、世の中にはつねに「新しい知識=新しい理論」が氾濫することになる。

もちろん、学者の世界でも、従来の理論や学説を否定するようなことをあからさまに行うと反感を買うので、それとなく「新たな発見」と称して「過去の理論」が忘れ去られるのを待つことになる。

そういう私は、そのような「学者の仕事」に疲れてきて、ここ数年はあまり論文を著さないのだけれど、世間の常識に疑問を投げかける作業を怠ることはない。

これも学者のサガなのではないかと観念している。

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最近時々思うのは、「手指の消毒」について。

前世紀までに確立した理論によると、手指を石鹸で洗うとウイルスやバイ菌などは洗い流されるので、(下水中にはウイルスが残ることはあっても)手指は十分に清潔になると信じられていた。アルコール消毒は、手を洗えない場での暫定的な消毒法に過ぎないと思われていたのだった。

ところが、最近は、石鹸で手を洗った後にさらにアルコール消毒する人が増えている。つまり、石鹸での手洗いは暫定的なウイルス除去に過ぎなくて、アルコール消毒によってはじめて清潔が保たれるという理論が優勢になってきたのだろう。

私はそのような論文を目にしたことはないのだけれど、学者が培ってきた常識が、人々に信頼されなくなってきたということなのかもしれない。

手を石鹸で洗うという行為自体も、自然の油脂を洗い流して皮膚を無防備にするのだから、その上さらにアルコールや次亜塩素酸などの刺激を皮膚にさらすのは、私にはいまだに暴挙だと思えるのだけれど、そのうち、洗面台には石鹸の他に消毒液も常備されることが常識となるのだろうか。

と、私の早稲田の研究室の洗面台を見ると、ハンドソープの反対側に消毒液が置かれていた。私はそれを使ってはいないのだけれど、2年前の「騒動」の折に出したものが洗面台に移動していたようだ。中身はほとんど空だったので、先進的な常識の用に供されていたということ。

それもまた「研究室」の役割なのかも知れないと、感じ入った次第である。

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

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