WWNウエルネス通信 (4月4日):「ワクチン」という言葉の効用

先週、大阪・兵庫・宮城の3府県に「まん延防止等重点措置」の適用が決定された。期間は5月5日までの1カ月間で「飲食店の時短営業」が主な対策とのこと。要請に応えた店舗の事業規模に応じた協力金が支払われると報じられた。じつは、同じ日(2日・金)には、「コロナワクチンの日本での接種回数が累計100万回を超えたこと」も報じられたのだが、私が読んだ日経新聞の見出しには「欧米に後れ、課題山積」とも記されていたし、「接種率は人口の1%にも満たず流行の防止は見込めない」とのコメントも付されていたので、その記事に接したとしても、安心感を抱いた方は多くはないのだろう。

そもそも、「ワクチン」というキーワードは、コロナ不安を払しょくするための切り札にも使える言葉なのに、それが「安心」をもたらさないとしたら、もったいないことだ。

よくよく考えてみれば、この1年間に確認された日本でのコロナウイルス感染者は、3月末時点で累計48万人弱。ワクチン接種者の数は、とっくに感染者数を上回っているのに、どれほどの国民が気づいているのだろうか。もっと言えば、緊急事態宣言の渦中でも新規感染者が1万人を超える日はなかったけれども、「3月半ば以降は5万~7万回程度で接種が進む」とのこと。毎日のワクチン接種者数は、とっくに新規感染者数を上回っているのだから、このまま進めば「安心」な日常が訪れると期待する人が多くなってもおかしくない。せめて、「ワクチン接種者数」を都道府県別に報道しても良いのではないかと、私なら思う。せっかく、「5万~7万回程度で接種が進む」と新聞に記されていても、同時に「米国は…差は広がるばかり」「注射を打つ人の確保が課題」「配送体制もままならない」と続く記事の内容は、政府の対応が後手後手に回っていて安心できないという印象(不安)を読者に与えることだろう。

もちろん、メディアの役割は権力の監視であり、批判的視点からの報道がメディアの使命なのだから、このような批判で埋められることは当然だ。だから、私は、メディアが否定的批判的な報道姿勢を崩さないことは大切な使命だと思っている。でも、重要なことは、《同じ事実》であっても、伝えられ方によっては「不安をあおる」効果を持つこともあるし、「安心を与える」効果を持つこともあるということ。

もし、「国内接種100万回を超す」の見出しに続いて「新規感染者数の20倍のペース」との小見出しが付されたとしたら、読者の印象は異なるはずだ。毎日の感染者数については、都道府県別に累計データとともに記されるのに、ワクチン接種者の数はいちいち報道されていない。せっかくの「ワクチン」というキーワードが、国民に安心感を与える言葉として活用されないのは、とても残念でならない。

ちなみに、昨日(4月3日・土)の朝刊トップでは「民間病院、コロナ対応遅れ 4割が受け入れず」と報じられた。ここでも、(公立病院も含めて)「コロナ受け入れ病院7割を超す」などと報じられたら印象(安心感)は異なるだろう。コロナ患者受入れ医療機関数や%、あるいは受入れ可能(空き)病床数などが都道府県別に報じられれば、国民の安心感を醸成するのに役立つのにと思う。

今朝の朝刊・社会面でも「コロナ後遺症低い認知度」とか「大阪最多の666人感染」などと不安を増長させる記事は多い。もしかしたら、不安を煽る記事の方がたくさん読まれる(売れる)とでも意図しているのだろうか?

メディアが国民の心理をコントロールするようなことは絶対にあってはならないことなのだけれど、ちょっとした言葉遣いの違いによって「恐怖・不安」と「安全・安心」という両極端の異なる印象を与えることができるのもメディアの機能なのだ。これは、一般の商品広告も同様だし、健康づくりメッセージも同様のこと。

前回も述べたように、私たちは「感染者の人数の増加」自体が怖いのではなくて「自分が感染して苦しんで死ぬこと」が怖いのだ。しかも、昨今では私たちの「感染者数の増加」に脅える心は、「自分が感染して苦しむ」ということもさることながら「自粛を余儀なくされる苦しみや不満」の影響の方が大きいように思う。「いつまでこんな生活が続くのだ」という不安が、街に繰り出す人々の映像や深夜の飲み会を開いた官僚に対する不満へと膨張する。

煽られた「不安」が「不満」へと膨張して、それがまた新たな「不安」をもたらすという悪循環。もはや「人出を抑制する」という行動制限だけしか打開策がないことには諦めるとしても、政府や知事の発言や情報提供のやり方、あるいはその報道の仕方一つで、この悪循環が解消される可能性もあるのになぁと、私としては残念に思っている。

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

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