【6】7年前の脳梗塞

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 あれは、2013年の秋。2020年のオリンピックがTokyoに決まった9月のことだった。

 ある水曜日の朝、起床後にトイレに座っていたら、胸から上が徐々に右に傾いていく。自分では元に戻すことができず、右壁に両手をついてなんとか身体を支える。

 用を終えたところで、右手で壁を支えながら左手で着衣を戻し、トイレの扉を開きながらそのまま崩れるように床に這いつくばった。両手と両足は動くのだが、どうにも頭を持ち上げることができず、床を這いながらベッドに戻る。

 30分ほど休んだら動けるようになったので、そのまま食卓に座り朝食をとり始めた。ところが、その後、洗面時にまた立っていられなくなって、食卓に移動して座った。しばらくすると今度は吐き気がする。あわててトイレで嘔吐し、そのまましばらくベッドで横になった。

 2時間後にタクシーを呼んで救急外来に向かった。私は医師に「脳梗塞ではないか」と訴えたのだが、問診・触診で異常が認められず、「飲みすぎでは?」と点滴を受けて帰された。

 それから6日後の夕刻にMR画像から左小脳部位の梗塞痕が見つかった。ただし、その「梗塞の原因」は不明。

 その後、病院をいくつか変えて、発症から3週間後にたどり着いた東京医科歯科大学病院・脳神経外科外来のMR検査によって、当該部位に血液を供給する後下(こうか)小脳動脈(PICA)に動脈解離痕があり、そこに溜まった血栓が一時的に当該部位の血液供給を遮断し脳梗塞が起きた、とようやく推定された。

 私が知ることのできた事実は、「PICA動脈の不整」と「白く映った(梗塞痕と推定される)小脳部位」の、いずれもMR画像だけ。

 その「報告書」には、

 「左PICAに不正な拡張像、限局的な解離と考えられます。」

 「(左小脳下部内側の)梗塞の責任所見としても合致する所見です。」

と記されていた。推測にはすぎないけれど、ようやく「原因」が見つかったのだった。

 通常の脳梗塞であれば、その部位の機能が失われ、そこが司っていた身体機能に麻痺をもたらすのだが、小脳の場合は、残された領域が直ちに機能を補ってくれるようで、最初にMR画像で発見されるまでの徒手検査では見過ごされていたとのこと。

 救急外来から数えて3件目、最初のMR検査を指示した医師に、

 「小脳で良かったですね」

と、奇妙な言い方で慰められたのが印象的だった。

(続く)

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