この話題は先週いったん終わったのだが、配信した翌朝、読者の一人からメールをいただいた。
》地面を踏んで蹴りだす足を意識すると
》膝にも負担をかけずに歩けるでしょうか?
私は、すぐに返事をしたためた。
—-
「踏む」とか「蹴る」というように意識すると、無駄な力が入ってしまうので、
「力(ちから)」に関する意識はしない方が良いです。
意識するとしたら、
「少しだけ膝を曲げる(膝を伸ばさない)」
とか
「着地(接地)する足が骨盤よりも前に出ないように」
という程度が良いと思います。
しかしながら、「意識」すると、たいてい歩きが奇妙になって変な歩き方になってしまう可能性があるので、ご注意くださいませ。
—-
そうなのだ。
これまで、いろいろな場面でいろいろな方に「歩き方」を指南してきたのだが、私たちが発する《言葉》は、たいていの場合「ここをこうして…」というように、「動き」や「身体」のどこかのパーツを操作するような《指示》を提供することになる。
ちょっと回りくどい言い方だったけど、例えば、私がこれまでに読んだ本の中で、
「もも裏歩きでひざの痛みがたちまち消えた」
という書(高木広人著、現代書林)では、
「もも裏」
という身体のパーツを意識させて、
「足裏で床を後ろに追いやる感じに(後ろに送り出すように)引く」
という言い方で、《後ろ足》を意識させた歩き方を指南する。
「健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい」
の著者の木寺英史氏は、歩き方の感覚として、「伸展感覚」と「屈曲感覚」という相異なる《感覚》があることを指摘して、「伸ばす感覚」で歩いていると体に負担がかかって膝を痛めやすいと説く。
と、ここまで読んでお気づきになるだろうか。
上記の書において、木寺氏は、
「膝は伸ばさず歩きなさい」
「屈曲歩きは身体にやさしい」
などと記しているのだけれど、
「膝は曲げて歩きましょう」
とは一言も述べてはいないのだ。
「膝を伸ばさず歩く」ということは、「膝を伸ばして歩く」ことの危険性を指摘しているのだけれど、もし「膝を曲げて歩きましょう」と述べたとすると、それを読んだ方はもしかしたら「膝を少し曲げて(伸ばさないで)脚を前に振り出して進む」という歩き方をするかもしれないし、そのように(これまでとは異なる)歩き方をすることで、かえって身体のバランスを崩してしまうかもしれないからだ。
「もも裏歩き」についても同様だ。
同書には、「もも裏とお尻の筋肉を使って、足裏で床を後ろに…」と記されているのだけれど、「筋肉を使って」という言葉を用いた瞬間に、読んだ(聞いた)方は、《筋肉》を意識して《力》を発揮してしまうようになる。
じつは、高木氏も木寺氏も、(両書をよく読んでみると)ほとんど同じことを述べている。ただ、表現の仕方が異なるし、細かいところで違うことを言っているようにも見えるのだが、
・ほとんどの人は間違った歩き方をしている。
・間違った歩きを常習すると、膝や腰を痛める。
・楽に歩くことで、痛みも消えるし長生きする。
という観点については、お二人ともに(私とも)共通なのだと思う。
でも、問題は、その「良い歩き方」をどのように伝えること(やってもらうこと)ができるか、ということ。これが、なかなかに難問なのだ。
直接に指導して、実際にどのように歩くようになるのかということを確認しながら進めることができれば、「意識の間違い」にも気づくことができるのだが、文字(メール)だけのメッセージでは、なかなか達成できないのではないかというもどかしさを感じている次第である。
冒頭のメールをいただいた日の夕刻。別の方から、
》どうも内容が難解なので、次回以降時間が有ればそのメカニズムに就いて教えて下さい。
というメールもいただいた。毎回のウォークの後の短い時間で伝えられることは限られるので、もしかしたら場をあらためて「歩き方講座」を開かなければならないかも、と思うようになった。
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