前回述べたように、年末(27日)に、ふと思いついて、自宅(文京区)から岩槻まで30kmの道のりを歩いた。
この「30km連続ウォーク」は、私にとっては10年以上ぶりの長距離ウォーク。
「10kmを超えるとまめができて、20kmを超えると膝が痛くなった」
という20年前の体験を踏まえて、久しぶりのウォークでどのような症状が現れるだろうかと確認することも今回のウォークの目的の一つだった。
さもありなん、スタートから12km地点までは全く違和感なく歩けたのだが、「川口グリーンセンター」の手前の橋を通過している際に左足裏に違和感を覚えた。おそらく、まめができたのだろう。ちょうど、自宅をスタートしてから16km地点。先の計算とも合う。
そこからは、この20年間の成果を生かして慎重に歩を進める。というのも、20年前の歩き方は、「踵から着地」の「エクササイズウォーク」。それがとても足脚に負担をもたらす歩き方だということとともに、「楽な歩き方」についても習得していたので、一歩一歩(歩みを緩めるわけではなく)「歩き方」を意識して進んだのだった。
そのせいか、20kmを過ぎてもまめがつぶれる気配はない。最後の10kmは、足裏が徐々に痛くなり、足脚にかなりの無理強いをしていることが意識できたほどに「辛さ」を感じたのだが、無事、岩槻駅に到着。歩き始めてから7時間、途中のトイレ&昼食休憩を除くと6時間(時速5km)で歩いたことになる。
電車に乗って座席に座ると、いきなり両足(靴の中)に充血感。足裏の負荷がなくなった分だけ、血(体液)が充満したのだろう。血の巡りが急激に回復する際には活性酸素が多量に発生(処理)されるので、まずはそのまま大宮までの10分ほどを安静に過ごしたのだが、乗り換えのために歩こうとすると、いきなり“ビッコ歩き”。なんとか平静を保って均等に歩こうとするのだが、足裏の痛みに耐えるのに精いっぱい。埼京線の地下に降りる階段が辛かった。
埼京線での30分間は、ひたすら座席で“脱力”。よく池袋で降りられたと感心するくらい、意識を失いそうになっていた。おそらくは下肢にたくさんの血がめぐって、頭の血流が少なくなっていたのだろう。最後、茗荷谷からの10分間の歩行は、「惰性」といってもよい心理状況で、(たった10分間で大げさだけれども)ひたすら無心で歩き続けた。
帰宅後に、靴を脱ごうとしてもなかなか脱げない。靴ひもを外せばよかったのだが、いつものように立ったまま脱ごうとしたので、足裏の痛みにも耐えながら20秒ほど要したのではないかと思う。靴下も(汗で)湿っていたので、部屋に入る前に、取り急ぎ防寒具(コート・手袋・帽子など)を脱いで、それから靴下。まずは足部の手入れが必要だと思いつつ、シャワーを浴びて丁寧に洗う。
着替えてから足裏をゆっくりと診る。全体がむくんでいるのだが、まめの程度は予想したほどにはひどくない。両足とも、第二中足骨頭の足裏と第五指先内側(第四指との間)の位置に小さなまめができていたが、滞留水も少なくて表皮も弱っていないので、このまま放置していても大丈夫だろう。足部はわずかにむくんでいるものの、負荷をかけずに安静にしていればすぐに引くものと確信した。しばらくは、室内を移動(歩行)する際に足裏に不便を感じたが、翌朝には痛みも消失。少し違和感が残ったが、2日後のウォークコース調査では影響を感じなかった。
「久しぶりの30km歩行」を経験して思ったことは次の3つ。
1)10年以上のブランクは、「初めて歩いた時」と同じような足部異常をもたらした。
2)「楽な歩き方」と「異常への対処」を修得していれば、各々の状況と状態を自覚して、速やかな回復を可能にする。
3)それでも、今の私には30kmが「限界」で、もし今回それ以上歩き続けていたら、翌日の回復は難しかったかもしれない。というよりも、その「限界」を事前に感じることができるようになっていたのが、この20年間の私の成長なのだろう。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男
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