WWNウエルネス通信 (7月5日):「都知事選挙の日に考えたこと」

本日は、東京都知事選挙。9時過ぎに向かったいつもの投票所は、文京区の総合福祉センター(リアン文京)の一角にあって、坂を下りる途中の裏口(3F)からエレベーターで1Fに降りて、さらに外に出た駐車場口から入場する。エレベーターで一緒になった若い男性は、スマホの角で行先階を押していた(感染予防!)。その彼に続いて投票会場に向かったのだが、入口に数名が受付を待っていた。ビニールの幕でガードされた受付にはパソコンが2台用意されていたのだが、そのうちの1台だけしか使っていない。ふと横を見ると「入場制限をしています」との張り紙。その横で投票用紙を手渡している係は二人いて、一台の機械から出てくる投票用紙を渡す人と、鉛筆の入った紙箱を差し出す人。私はその箱から鉛筆を1本とって記名台に向かう。記名台は丁寧に一つ置きにテープで閉じられていて、私たちが隣り合わないような配慮。肝心の投票箱の奥にはビニールのガードの裏に5名ほどの人々が座って見守っていた。

コロナ(感染防止)対策の一環だということはわかるのだが、本当に感染防止を徹底したいのならもっと気の利いたやり方があるだろうとつっこみたくなる。そもそも、投票箱に投票用紙を入れる際に立会人に向かっておしゃべりする人がいるのだろうか?咳やくしゃみをする方がいるかもしれないけれど、レジ袋を有料化してプラスティックを抑制しようとしているご時世に、大量のビニール(プラスティック)を張り巡らせて、そのあとどのように活用するつもりなのだろう。本当に接触を避けたいのならば、インターネット投票を導入すればよい。すべての人に強要するのではなく、特別定額給付金(10万円)と同様に、マイナンバーカードを使って投票できるようにしても良い。技術的には容易だし、そうすれば投票所に出向く人の数は抑制できるはず。

郵送での投票も認められていない(できない)のに、Web投票ができるようになるとは到底思えないし、それができない理由だって承知の上なのだが、「できない、できない」というだけの政府は、国民にずいぶんと「できないこと」を無理強いしているではないか。技術的には容易なことなのに、政府が縛られている《制度》の下では極めて困難だというだけなのだ。そして、結局は「投票用紙を手で仕分けする」という作業が今回も繰り返される。きっとマスクに手袋を着けて作業するのだろうが、どうしてこの国の政府は「本質的な解決」に取り組もうとしないのか。

 ちょうど、私が受付に並んだ直後、受付でトラブル。私よりも3名ほど前で順番を待っていた方が自身の投票券を提示したところ、ちょっとした受付担当者の困惑の後に「ここでは投票できません」と言われていた。どうやら、700mほど離れた隣の投票所(金富小学校)の投票券だったようで、おそらく最近引っ越してきて最初の選挙だったのだろう。期日前投票なら、文京区内のどこにいってもできるのに、《本当の》投票は、決められた場所でしかできない。政府は、「新しい生活様式」なんて宣うけれど、人と人とを隔離するしか思い浮かばない政府に、「新しい生活様式」を推進できるのだろうかと、疑問に思う。民間では、「withコロナ/afterコロナ」の社会に適応すべく、みんな必死に生き残ろうとしているのに、「本質的な解決」に取り組めない政府の組織と機能は、淘汰されてしまうのではなかろうか。

そういえば、感染拡大を避けるためにテレワークがしきりに進められ、私もキャンパスには全く行かない完全テレワークなのだが、霞が関も都道府県も(おそらく市区町村も)テレワークが実施できた役所はどれほど存在したのだろうか。この間、私が業務応対した役所の方々は、私たちにはメールや郵便で事を済ますのだが、肝心の彼らは役所に出勤していたしzoomもやらない(できない)ようだ。会議はだいたい「書面会議」に変換されたが、6月初旬には庁舎での会議(5月半ばに招集された)も行われた。(続く)

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

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