正月休みが明けた4日。大晦日に初めてトライした徒歩旅行の余韻を抱きながら上板橋に向かった。
年末にインタビューしたNPOの代表の絵が展示されていると勧められた喫茶店に行こうとして、「どうせなら歩こう」と思い至った次第。
Googleで調べてみると8.5km(2時間)ほど。そこから南に下りて練馬に出て、目白通りを戻ってくれば20km超になるのではないかと当たりをつけて出発。
出だしは、いつものように北に向かって春日通りに出て、新大塚からは北西に進路が変わる国道254(川越街道)を道なりにそのまま進む。都電荒川線を越える向原までは馴染み深かったが、川越街道で池袋を越えたのは初めての体験。JR山手線・埼京線・東武東上線を越える川越街道では歩道(六又歩道橋)を渡るルートがゴチャゴチャしていてめんどくさいので、その手前で右にそれて、明治通りで山手線を越えて、山手線を左下に見下ろしながら川越街道の歩道に合流するという、Googleマップで示されたルートを行く。埼京線を渡る地点で右手に見えたJRの操車場(車庫)は初めて見る光景。夜間には電車でいっぱいになるのだろうと思える景色が広がっていた。そして、その先には、東武東上線の北池袋駅が見える。同駅の北側は、埼京線と東上線の2路線の上下線が行きかう《開かずの踏切(第一雲雀ヶ谷踏切)》があるのだが、昨年6月に那須に向けて一歩を歩み出した際に待ち尽くしたことを思い出した。
それはさておき、感傷にふけるときではないので先に進む。山手通りと交差する熊野町交差点の歩道橋は、2023年10月のウォーク「谷端川の緑道・暗渠を遡る」で渡った道。下板橋駅から谷端川の暗渠(緑道)を遡って西武線椎名町から千川駅に向かったコースを思い出す。
「帰りは千川に寄ってみても良いな」
と思いついたのはその時だった。
そのまま歩きながら、交差点の形状が奇妙なことに、ふと気づいた。一般的な国道交差点では、通りに直角に通る道路に横断歩道(信号)がついているのが普通だが、川越街道と交差する通りが直角に二つあって、その各々から流入する車を待たなければならないのだ。同じような交差点が何度も(正確には六回)繰り返される。スマホのマップで調べてみると、熊野町を過ぎてから大山駅あたりまでのエリア(大山金井町)は、路地が南北・東西に整然と直行していて、ちょうど池袋から北西に向かって進む川越街道とは、南北・東西の二つの路地が交差するのだ。もしかしたら、川越街道よりも前から縦横の路地があったのではないかとも勘ぐったが、川越街道は江戸時代からあったはずだし、そのころはこの辺りはせいぜい田畑であって人がたくさん住むようなところではなかったはず。謎を抱えたまま大山ハッピーロードの出口を通過する。
ほどなく「日大病院入口」の交差点を渡ると、右手に斜めの路地入口が見える。
予想した通り、「旧川越街道(下頭橋通り)」だ。
あらためて、地図を確認すると、一つ手前の交差点には、左斜め前から侵入する通り(中丸通り)がある。これは池袋駅西口エリアと大山を結ぶ通りなのだが、護国寺から東池袋を経て池袋東口で突き当たる通り(グリーン大通り)をそのまま突っ切ってまっすぐ進むと、この「中丸通り」に接続できる。もしかしたら、旧川越街道は護国寺から現在の池袋駅を通過して中丸通りを経て「下頭橋通り」に続いていたのかもしれない。そうだとすると、旧川越街道が「街道」として使われていた時代に大山あたりで区画整理が行われて南北・東西の路地が整備され、その後、現在の川越街道がバイパスとして敷設されたのかもしれない。
まあ、奇妙な交差点の正体と由来は、私の徒歩旅行とは無関係なのだけれど、謎が生まれると突き止めたくなる私の好奇心を満たすためにも、今回の徒歩旅行は役立ったともいえる。
(続)
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男