さて、昨年6月から始めた「那須歩き」は、12月7日に最後のステージを歩き終えて無事終わったわけであるが、その端緒となったのは「100キロハイクを歩けるだろうか?」という課題であって、それを達成するためには、「50km×2日連続」を難なくこなす必要がある。今のところ、「30kmを歩けるようになった」という状態になったにすぎないので、「那須歩き」といっても、一気通貫に150km(50km×3日間)を歩き通す自信は到底まだない。少しずつ歩く距離を伸ばしながら、1泊2日で100キロとか、2泊3日で150キロとかと、連続徒歩旅行ができるようになったら愉しいだろうなと想像しながら、そのためにはどのような準備(トレーニング)をすればよいのだろうかと考えあぐねたのだった。
そこで思いついたのが、「自宅から歩きたいだけ歩いて自宅に戻ってくる」というアイデアだった。これなら、30~40kmを2日あるいは3日連続したとしても、電車に乗っている時間が無駄にならないし、空き日程があればすぐに取り組むことができる。というわけで、次のシリーズを始めようとしたのだが、それを何と呼ぶべきなのかと思い悩んだ。子どもが生まれたときに名前が必要なように、何事にも「命名」が肝要だと、日ごろ思っていたからだった。
「那須歩き」に替わるシリーズタイトルとして最初に思いついたのは「徘徊の勧め」。ただ、「徘徊」という語は認知症の文脈で使われることが多いので、あまり良いイメージを持たれないかもしれない。
ということで、いつものようにGoogleのお世話になって「徘徊 意味」という語を入力してみた。すると、いきなり
「大府市では「徘徊(はいかい)」という言葉を使用しません」
というサイトがトップに現れた。
そうなのだ。徘徊という語は偏見を助長する恐れから使われない風潮が広まっていたのだった。それでも、
》広辞苑によると、徘徊とは「どこともなく歩きまわること。ぶらつくこと」です。
》辞書では悪い意味とはされていませんが、実際に使われる「徘徊」には、
》認知症の方に対する偏見が含まれている場合があります。
などと、「徘徊」という語を(偏見的文脈で使われるから悪い意味を付与されるのだという意味で)弁護するメッセージも見つかる。
ただ、調べていくと、「目的もなく、うろうろと歩きまわること」とか「目的や目標はもとより、自覚しているか否かもはっきりしないまま動きまわること」などと、あたかも「目的」を持たずに歩くこと自体が悪いかのような偏見に満ちた解説も出てくる。
せっかくなので、逆に、広辞苑で使われていた「どこともなく歩きまわること ぶらつくこと」という語を入力してみると、次のようなAI解説が出てきた。
》「どこともなく歩きまわること。ぶらつくこと」を表す言葉として、
》主に以下のものが挙げられます。
》 徘徊(はいかい):あてもなくうろうろと歩き回る行動。
》 漫歩(まんぽ):あてもなく歩きまわること、漫然と歩くこと。
》 そぞろ歩き:あてもなくぶらぶら歩くこと。
》 彷徨う(さまよう):あてもなく歩く。
》 散歩(さんぽ):気晴らしや健康のためにぶらぶらと歩くこと。
》また、街の景色を楽しみながら目的なく歩くことは「散策」とも表現されます。
なるほど、Googleが網羅している世間では、このような意味で各々の言葉が使われているというわけか。「散歩」だけが「気晴らしや健康のため」という「目的」が設定されているけれど、おおよそ「目的」から解放された行動を表す言葉として記載されていることに少し安堵した。
でも、いや待てよ。そもそも私が始めようとしている「自宅から自宅まで歩き」には、長距離徒歩旅行への「準備」とか「トレーニング」とかという、よこしまな目的があったのかもしれない。と、私自身が「目的」から自由になっていないことを少し反省した。
ともあれ、「歩きながら何かに気づくこと。その楽しみを甘受するために歩くということ。それはどこに行こうかと考えることから始まる私のための旅。」という私の愉しみを充足させる「目的」を掲げて、「徒歩旅行の勧め」というタイトルにしようと落ち着いた。
次回から、折に触れて「徒歩旅行の勧め」シリーズを開陳したいと思います。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男