ところで、第5ステージの歩を始めた雀宮駅から鬼怒川に至るまでは宇都宮市内。
千変万化とまではいかないけれど、それまで様々に印象を変えてきた道筋は、奥州街道が国道4号と合流してからも、さらに姿を変える。
その地点までの奥州街道は、歩道がついた片側1車線の単なる道路。一方で、右から合流する国道4号は片側2車線の大きな道路。雀宮から4.4km地点の踏切を渡ってから宇都宮方面に向かう国道4号は、片側1車線しかない地方国道だったので、私が通らなかった宇都宮駅の東側で、いつの間にか、大通りに変貌したということ。それまで歩いてきた道は、信号のある横断歩道を渡ったとしても高々10m超だったのに、ここから先は「30m道路」なのだ。
その合流点(雀宮から11.2km地点)を通過した時、私は奥州街道の左側歩道を歩いていたので、右から合流する国道4号(横断歩道)を渡らずにすんだのだけれど、合流したとたんに反対側の歩道が遠くに見える。そういえば、鬼怒川を渡る手前では国道4号の右手歩道から右側に降りて国道下をくぐるようにGoogleMapのシミュレーションでは示されていたわけで、どこかで右側に渡らなければならないということだ。
その横断ポイントは、やがて訪れた。
というのも、その先2kmほど進んだ13.2km地点で、奥州街道(国道4号)は宇都宮環状道路(新国道4号)と交差するのだが、道路面上には横断歩道はなくて、交差する道路上の横断歩道橋を渡る必要があるからだ。つまり、この交差点を超えるためには左側歩道を歩いていても右側歩道を歩いていても、渡った先では信号にさえぎられることなく反対側に出ることができる。私は「なるほど」と合点して、その交差点で奥州街道の右側にわたることにした。
ところで、その交差点は「平出工業団地」という呼称なのだが、「交差」とはいっても、片側2車線の宇都宮環状道路の本線は奥州街道の下をくぐっていて、信号がない。宇都宮環状道路から奥州街道に右左折する側道は各1車線(片側計2車線)があるので、私が渡った歩道橋は片側4車線(計8車線)の壮大な道路だということ。周りを見ると、一望する限り工場と道路。ここは宇都宮市の中心部からは北東のエリアなのだが、こんな壮大な工業団地が拡がっていたというわけだ。
そして、奥州街道(国道4号)の右側歩道を東北に進む私の右手にも工場が連なっていた。
1kmほど歩き続けて工業団地のエリアを抜けると、右手には田畑が広がる。ここは鬼怒川沿いの河岸段丘に広がる田園地帯で、岡本は江戸時代には奥州街道口の宿場町として栄えていたとのこと。JR岡本駅は国道左手の崖の上に位置していて、私が歩いている国道4号は「下岡本」と表示されていた。おそらくは、現在の国道4号と岡本駅との間に旧奥州街道と宿場町が拓かれていたのだろう。
JR宇都宮駅で黒磯行に乗り換えて一つ目の駅が「岡本」なのだが、江戸時代には現在の岡本駅周辺の岡本宿から下岡本を経て鬼怒川沿いに至るまでの「大きな岡本」があったのだと思うと、歩かなければ見えなかった土地の息吹を感じた瞬間でもあった。
(続)
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男