2025年10月13日、朝9時15分。雀宮駅東口を出た私は、まずは宇都宮を目指して北上する。新幹線高架下側道は歩道がなくて、たびたび通る車が速度を落として避けてくれる。決して歩きやすくない路を1kmほど進んだところで、高架下をくぐって西側に出ると、車の来ないのどかな農道。10月とはいえ少し汗ばむ気候の下で一歩一歩ゆっくりと歩を進める。熱帯低気圧の影響でときおり吹き抜ける風速4mほどの北風が心地良い。
ふと足元を見ると、毛虫が右から左に進んでいる。あわや踏みつけそうになるところで3秒ほど見学。たくさんの足で、よくこんなにゆっくりと進めるものかと感心する。3歩進んだところで、今度は私と同じ北向きに進む毛虫も発見。さすがに毛虫のようにゆっくりとは歩けないので、すぐに追い越す。ふと前を見ると、交差する農道との角の更地に車が止められ、若い男女と祭司のような人の姿。なにやら祭壇のような準備が執り行われていた。どうやら新築住戸の地鎮祭のようだ。100m先に新幹線を臨むこんな畑の真ん中にポツンと一軒家が立つ姿を思い浮かべると、完成後の姿もぜひ見てみたいとの欲望が沸き起こる。でも、わざわざもう一度歩いてみようと思う風景でもないので、2年ぐらいたったらGoogleMapのストリートビューで確かめてみよう、と思いながら歩を進めた。
そうこうしているうちに、小道の分岐を左に登ると住宅街を経て宇都宮線の踏切を渡る。雀宮駅東口から4.4km地点にあるその踏切を通過したのは10時7分。暗算に少し時間がかかったけれど、分速80m(時速4.8km)を超えずに歩けているようで一安心。その後は国道4号の右側歩道を北上。田畑の農道や住宅街の小道と、今回そこまでに遭遇した各々の景色とはまた違う「国道沿いの風景」に浸された。さらに1kmほど進んで国道4号が右に曲がったところで、国道を渡ってさらに北上。住宅街の小道を進むとJR日光線の線路を下に見る橋を渡る。「橋」といっても切り通しの単線をまたぐだけの10mほどの道。5秒ほど立ち止まって日光線の線路を写真に収めた。
その先、旭陵通りに突き当たって右手(東)に向かって宇都宮駅を目指す。何気ない車道沿いの光景なのだけれど、田川を渡る手前の両側が低地になっていて、旭陵通りだけが崖上を通っているような奇妙な景色。おそらく、氾濫時にえぐれた河川敷に道路を築堤した後で、川に堤防を築いて住宅街を作ったのではないかと想像した。
通り沿いのコンビニ(7.4km地点)で8分間のトイレ休憩。ついでに飲料とパンを購入して、さらに北上する。旭陵通りが宇都宮駅前を通過するのは8.4km地点。駅前大通りをまたぐ「宮の橋交差点」で横断歩道を渡りながら宇都宮駅西口を写真に収め、休まずに北上を続ける。
宇都宮駅前の大通り(宮の橋交差点)を越えてからは、なんとなく道沿いの光景が違って見える。先ほどまでの「旭陵通り」という呼称もいつのまにかなくなってしまったようで、駅前から900mほど進んだところにある今泉交番交差点からは、まっすぐ進む道が「白沢街道」、斜め右に進む道が「奥州街道」と呼ばれていることに気づいた。私は、斜め右(東向き)に曲がって奥州街道を進む。新幹線の高架をくぐるとともに宇都宮線の踏切を渡ると、街並みの風景がいきなり変わったわけではないのだけれど、「奥州」に向けた道なのだと自覚。それまでなんどもシミュレーションしてきた道だったので、それまでは手元の地図を頼りにしていたのだけれど、だんだんとスマホのナビを確認することが増えてきた。というのも、手元の地図は大雑把にしか記載されていないのに、この通り(奥州街道)に侵入したり交差したりする大きな通りがいくつもあったからだ。
地図上では、最初に合流する大通りは国道4号だったのに、いきなり大きな通りが(国道4号と)同じような角度で右から合流。私はその道の横断歩道を渡りながら、それを国道4号かと勘違いした。しばらくたって、競輪場通りが右手前から横切る交差点を渡りながら、地図上にはなかったその大きな交差点が一体何なのかを確認するために、スマホに頼ったというわけ。そこで、「国道4号との合流がまだまだ先のこと」ということを知ることになった。
そんなこんなで、宇都宮市街の道筋の景色を楽しみながら、さらに歩を進めた。
(続)
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男