さて、小山の乗馬クラブを訪問するために、500m+10分の回り道を楽しんだのちに北上。下野市に入って小金井駅に至る。
小金井駅は、東北本線の車両基地があって、東京方面から宇都宮に向かう電車の前5両を切り離したりする駅。だが、駅前ロータリーは小さくて、なんだか田舎の普通の駅前のような雰囲気。なんとなく通過して、左手を走る国道4号に合流。その後は、雀宮駅までひたすら国道4号の右側歩道を歩くことになる。
自治医大駅への入口交差点の手前左側に、下野市役所の大きな新しい庁舎が。ところが、交差点から自治医大駅を覗くと、マップでは「自治医大駅西口」と記された正面には、新幹線下をくぐる通路の入口だけしか見えない殺風景。駅名の「自治医科大学」と「大学病院」は、線路反対側の東口にあるので、もしかしたら、自治医大(病院)前の駅だからそちら側だけがにぎわっているのかもしれない。市役所前の駅だというのにどういうわけだろうといぶかしんで調べてみると、自治医科大学と病院が開設されたのは1972年のことで、その後に構想された大学と病院を中核とする住宅地(グリーンタウンしもつけ)開発の一環として1983年に開業したとのこと。駅西側の旧国分寺町と東側の旧南河内町とが別々の駅名を主張して決まらなかったので、最終的に現在の駅名に決着したとのこと。この間、「自治医大」自体は駅名決定には関与しなかったようだ。自治医科大学が開設された際に新設した駅だとそれまでは当然のように思い込んでいたので、意外だった。
さらに、駅開業から23年後の2006年に、北側の石橋町も含めた3町が合併して現在の下野市が誕生。10年後の2016年に現在の地に新庁舎が竣工したとのこと。おそらくは、「旧3町の隣接境あたりに位置する駅前」ということで、新庁舎の場所が決まったのではないかと思う。ついでながら、同じく平成の大合併時期に黒磯市・西那須野町・塩原町の旧3市町が合併してできた那須塩原市の庁舎は旧黒磯市の庁舎で、那須塩原駅前に新庁舎を建設するという構想は、現時点では設計が終わった段階で膠着しているようだ。
それはさておき、小山から小金井駅までは8kmほどを歩いてきたわけだが、次の自治医大駅までは2.6km。ここだけずいぶんと駅間が短いなとは感じていたのだが、上述の経緯を知って納得した。1885年に大宮-宇都宮間が開業した現在のJR宇都宮線は、翌年黒磯まで延伸されて、明治年間に現在駅のほとんどが開業したが、小山-宇都宮間は、小金井・石橋・雀宮の3駅で、各々の駅間は7.5km前後だった。それが、約100年後に開設された自治医大駅によって、小金井と石橋の駅間が各々2.6km、4.7kmに区分されたというわけ。ちなみに、小金井-自治医大駅間は、大宮以遠では土呂-東大宮間(2.1km)につぐ短い区間である。
そんな発見ができるのも、歩くことの恩恵なのかもしれない。
(続)
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男