先に、「将来のために今を犠牲にする」という考え方を紹介いたしました。
確かに、
・睡眠時間を削って勉強や仕事する
・眠くても起きて仕事に出かける
・生活のために辛い仕事でも頑張る
といったことは、若い時にはぜひとも経験してほしいと思うようなことですし、
・健康のために美味しい食事を制限する
ということも、現代を生きるための健康法として尊ばれている考え方です。
でも、これまでにもたくさんの労苦を乗り越えてこられたのに、これからも艱難辛苦だけを人生訓にしながら生き抜くのはもったいないのではないかと、私は思うのです。
もし「甘いもの」が好きなのに我慢しなければならないとしたら、その「我慢しなければならない状況」を疑ってみることも一つの考え方です。
例えば、「眠くても仕事にでかけなければならない」のは、始業時間があるからです。
毎朝必ず会社に行かなければならない状況だからこそ、風邪を引いて熱があったりだるかったりしたときに「日常生活に支障をきたす」ことになるのです。
もし、「毎朝仕事に出かけなければならない」という「日常生活」から解放されたとしたら、「熱があったりだるかったり」という症状があったとしても「生活に支障をきたす」ことにはならないかもしれません。
もちろん私は、「風邪をひいたら仕事を休んで寝てればよい」などと言うつもりはありません。ただ、「健康上の問題で日常生活に何か影響がありますか」という質問に「ある」と回答する5%の若者の中には、「風邪を引いても休めない」という方も少なくないだろうと思うのです。「手取りを増やす」ではありませんが、若者の年収がもっと高くなれば、「日常生活」にゆとりを持てるような状況になって、「風邪を引いても休めない」あるいは「生活のためには辛い仕事でも頑張る」という艱難辛苦の想いは和らぐことでしょう。
さて、本題です。
じつは、私も含めて高齢者の場合は、「風邪を引いても休めない」という人よりも、「風邪を引いたら静かに寝ている」という人の方が多いのではないでしょうか。もちろん、熱やだるさがなければ、いろいろな仕事や活動に従事している方が大半と思うのですが、いざ「風邪を引いた」という状況に陥ったとしたら、「仕事や活動」といった「日常生活」を変える(休む)ことができるということです。
「健康上の問題で日常生活に支障がある」というとき、私たちは「健康上の問題」を解決しようとしがちです。でも、場合によっては「支障をきたす日常生活を変える」という考え方があっても良いし、実際にそのように対応している方も(特に高齢者の中には)多いのではないかと思うのです。
もちろん、「睡眠時間を削って仕事をする」とか「生活のために辛い仕事でも頑張る」といった「日常生活」があったとしたら、それを簡単に変えることはできませんが、例えば「健康のために美味しい食事を制限する」という日常は、その禁を破ったときにどのような不幸が招来するのでしょうか?
すべてがそうとは申しませんが、「思い込みの健康法」も多いので要注意です。
いくら不老不死が達成できたとしても、その終わりのない人生が艱難辛苦だけだったとしたら、幸せとはいえないでしょう。いわんや、限りある残された人生をどのように過ごすのかと問うてみれば、「将来のために今は我慢する」という日常生活だけで良いはずはありません。「寿命を延ばすだけではだめだ」という長寿へのアンチテーゼが「健康寿命」という考え方に結実したわけですが、せっかくの「健康寿命」も将来から束縛されたままではもったいない。
私は、
・ぐっすり眠る
・気持ちよく目覚める
・充実した時間を過ごす
・美味しく食べる
ということをモットーにした「満たされた今」を大切にしたいと思っています。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男