先日のゴルフ場での出来事。
その日のラウンドも終盤に差し掛かる14番ホールのティグラウンドで、フェアウェイ上での前組のプレーを待っている間に、一緒に回っていた仲間が「おやつタイムにしましょう」と、持参してくれていた最中を配ってくれた。都内の有名な和菓子店のもののようで、とても美味しかった。
キャディさんの分も含めて五つ用意してくれていたのだが、その時は3人で回っていたので、我々が受け取った時点で二つ余ることになる。
そこで、その方はキャディさんに渡すときに、「御主人と一緒に召し上がってください」と、残った最中を袋ごと渡した。
キャディさんは、「最中は好物なんです」と喜びの声を発したのだが、ふと、
「主人も最中が大好きなのですが糖尿病なので甘いものを制限されているのですよね」
とつぶやいた。
普段は、余計なことを言わないように気を付けている私なのだけれど、プレーとは関係ない冗談も交わすようになっていた安心感からか、
「将来のために今を犠牲にするという考えは、子どもには必要ですけど、今の喜びを大切にすることも重要ですよ。」
と、余計なことを語ってしまった。
すると、いきなり、
「そうですね、とっても腑に落ちました!」
と喜びと共に、感心されてしまったのだった。
当然のことながら、勤勉や倹約は、古来、人間が大切に保ってきた思想だし、それが経済の発展や社会の繁栄をもたらす原動力となってきたことも事実だ。だから、私は、その考え方を否定するつもりは毛頭ないのだけれど、健康増進に資するための研究に永らく携わりながら、どうして人々はかくも安易に、「健康や寿命のため」というお題目を信奉して、自身の生活の喜びを犠牲にすることができるのだろうかと、不思議に思っていたところだったから、「刹那の喜びも大切なのではないか」と、ついつい言いたくなってしまったのだった。
例えば、「塩分控えめ」とか「カロリーが高い」などというダイエットにまつわる言説は、たいていの場合は、美味しい食事を犠牲にすることにつながる。入院したり施設に入ったりするとわかるのだけれど、「栄養管理」が徹底された給食はほとんどの場合、美味しくない。最近の学校給食では美味しさも追及されているようだけれど、どうして健康を目指す給食では「美味しさ」が犠牲にされてしまうのだろうか。
と、そんなことを思い出しながら、件のキャディさんに向かって、
「最中を我慢してもご主人の糖尿病は治りませんしね」
と、またまた余計な言葉を付け加えてしまった私だった。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男