WWNウエルネス通信 (2025年9月18日):「那須まで歩く(19)水泡と感染痛」

さて、第3ステージの小山からの帰宅後に、シャワーを浴びて眺めてみると、足裏の水疱は、少し大きくなっているような気がした。放置して歩いたら破れる可能性もあるのではないかと、安全ピンで穴をあけて水を抜いてみた。もちろん、針は消毒液で拭いたし、穴をあけてすぐに水を浸出させたので、感染したりはしないだろうとの配慮はあった。

翌朝観ると、水はたまってはおらず、水泡の表皮はぴったりとくっついていたので、このまま固まってくれたらいいなと期待した。その日(7/31)は夕方に早稲田でゼミがあるので、どのみち早稲田まで移動しなければならない。ならば暑くなる前にと9時過ぎに早稲田に向かう。

自宅から早稲田までは、いつもならば歩いて20分強。それを、(たぶん)25分ほどかけてゆっくりと歩く。とくに痛みを感じていたわけではないけれど、ゼミ教室内での数歩の移動もどこかぎこちない。皆には、「昨日30km歩いてマメができた」と漏らしたのだが、そのときはまだ、ここまでひどくなるとは露とも思ってはいなかった。

帰宅してシャワーの後に足裏を確認すると、また水が溜まっていた。今から思えばそのまま放置すればよかったのかもしれないが、その時は、また水を抜いたのだった。

翌日(8/1)朝の時点では、水泡はできていなかった。夏休み前の1時間ほどの残務整理のために早稲田に自転車で往復。その後は自宅でじっと安静にしていた。左足はなんとか落ち着いてきたようだけれども、夕方から右足の横アーチ箇所が腫れてきて、第2,3中足骨あたりに軽い痛み(歩くと強痛)を感じる。このとき、「もしかしたら針を刺した(水を抜いた)際に感染したのかもしれない」と、高をくくりながらも軽く後悔する。

翌土曜日(8/2)は、夕方に義母の誕生祝の宴があって武蔵小金井を往復。できるだけ電車・バスを使って歩きを抑制したけれど、よぼよぼ歩きの合計は2000歩を越えたような気がする。靴の脱ぎ履きに(痛くて)時間がかかるので、義母を心配させてしまったけれど、なんとか家に帰りついた。

翌8月3日は、那須への移動日。ここさえ乗り切れば、あとはずっと「安静」を保つことができるのだと、期待しながらよぼよぼ移動。自宅から茗荷谷駅、池袋駅・宇都宮駅構内、那須塩原駅から駐車場まで、さらにはスーパー店内と、おそらくは全部足しても2000歩弱だと見積もりながら、家に到着。お風呂にゆっくりと浸かって足が癒えるのを待った。ところが、数日たってもなかなか右足の腫れが引かない。さすったりほぐしたり、銅棒でたたいたり撫でたりと、リンパの流れをよくするようにと努めながらひたすら安静状態を保持しているのに、なかなか腫れが引かないのだ。

そもそも、腫脹と疼痛は発赤や熱感とともに炎症の基本兆候。炎症とは、体内に起こる組織異常や感染などに対する生体の防御反応であり、「治癒プロセス」なのだから、腫れや痛みを感じたら「免疫系が治している証」。だから、順調に「治って」いるのであれば、毎日症状が変化して、3~4日で戻るはず。それが、安静にしているのに治らないのだとしたら、別のアクションを起こす必要がある。

水泡表皮のめくれた跡も落ち着いてきれいになっているので、感染が続いているはずもない。最後に針を刺してから5日たった頃からは、もしかしたら、これは感染なのではなくて、アーチがつぶれたことによる腱や靱帯の損傷が原因なのではないかと勘繰り始めた。組織の損傷ならば、損傷が治るまで炎症が続くのかもしれない。

歩行時に足裏に負荷がかかると痛いので、どうしても左足荷重のびっこ歩きとなる。幸い、左足はまったく支障がないので、立ち上がる時も左足1本。このままだと左足に支障をきたすのではないかと案じていた。もちろん、毎朝毎晩、少しずつは(痛みや腫れなどの)状態が良くなっているのを感じてはいたものの、結局、右足の腫れと痛みが引いたのは、歩きから2週間後の8月13日ころのことであった。

ところが…、である。

右足が治りかけたかと思ったら、今度は左足が痛み出した。

(続)

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

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