東武アーバンラインを産業道路の跨線橋で越えてからしばらく進むと、「土呂駅入口」の交差点。左に曲がると土呂駅ということなのだが、グーグルから指示された道は、土呂駅の先で宇都宮線の線路沿いに右に曲がることになっていたので、そのポイントが「間近」に迫っていることを察知する。
と、産業道路はその先が坂道になっていて、私の歩いている歩道と共にゆるやかに登り始める。そして、その左手には「側道」が。そのスロープに足を踏み入れた瞬間になにやら嫌な予感がして、歩道橋の陰でスマホを確認。マップを拡大してみると、どうやらその「坂道」はJR宇都宮線の跨線橋で、その線路沿いの道を右折するためには、この産業道路の右側(道路を渡った反対側)の側道を進まなければならない。そこは横断歩道もない場所で(というか歩道橋があるのでそれを渡れば済むことなのだけれど)車の通りがない瞬間に反対側の歩道に渡った。ということで、無事に道を踏み外さずに済んだわけだが、産業道路右側の側道を線路に向かって進む途中に、跨線橋をくぐる道と出会う。
なんのことはない。左側の側道を進んでも、この潜り道で跨線橋下を渡ることができたということ。私が横断したのは「危ない橋」だったというわけ。
さて、気を取り直して、宇都宮線に沿って北上する。
先に述べたように、大宮から古河までのJR・宇都宮線は、「縄文前期の海岸沿いルート」。
高低差がほとんどなく平らなことはさておいて、とにかく川(橋)が多い。その半分ほどは、流れがゆっくりで、どちらに向かって流れているのか判然としない。とはいえ、北に向かう道の左(西)側が山で右(東)が太平洋なので、この道を北上している限りは、左から右へと水が流れていることになる。
東大宮駅を目指して北上する間に見沼代用水と芝川の橋を渡るのだが、橋の上から右手を眺めると、水が先方に流れ去っているのを感じる。宇都宮線の電車に乗っているときは橋(川)の存在さえ感じなかったのだけれど、歩きのスピードは、水の流れも感じさせる。この関東平野が海だったことを思い出しながら歩くことになった。
それはさておき、土呂から東大宮までの2km弱(25分ほど)の間を線路に沿って歩いたわけだが、この間、宇都宮線の上り電車とすれ違うことになる。線路の右側を歩いたので、上り電車は、その風を感じるほどだった。最初は上り普通電車とすれ違ったのだが、数分後にコンテナを牽いた貨物列車が通過。なんとなく数えてみたら18両。普通電車が10両から15両なのに比べて、やはり貨物は長いななどと感じ入ったのだが、アメリカで見た貨物列車は長い時で50両を超えていたことを思い出して、日本では貨物量が少ないのかなと考えたりした。ところが、5分もしないうちに、また貨物列車。こちらは15両しか連結していなかった。と、歩みを進めていると、今度は(貨物を牽引していない)単体の電気機関車が通り過ぎる。
那須までの往復ではJR・宇都宮線を使っているけれど、乗客用の電車よりも貨物列車の編成の方が頻繁だったなどとは、これまでに考えたこともなかった。しかも、アメリカのように長い編成にもしないで、ひたすら乗客用電車の隙間を頻繁に走る。この頻繁な貨物輸送が、現代の私たちの運輸需要を支えているのだと、また一つ知識が増えた。
(続)
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男