WWNウエルネス通信 (2025年6月26日):「那須まで歩く(4)広がる関東平野」

戸田橋を渡ると「戸田市」。

ここからは、国道17号も片道1車線となり、いきなり地方国道の様相。3kmほど進むと「蕨市」の看板が目に入る。京浜東北線だと川口~西川口の次が蕨なので、蕨市は川口市の北側だと思っていたけれど、国道17号の上では、戸田市の北が蕨市なのだと気づく。でも埼京線の駅は戸田公園~戸田~北戸田と続くので、「蕨」は現れない。

つまり、「戸田の北が蕨」という位置関係は、国道17号という線上での表象だということ。

それはさておき、時計を見ると、自宅を出てから2時間半を超えていた。心なしか、少しのどが渇いた。じつは、自宅を出てすぐに「水を忘れた」ことに気づいたのだけれど、コンビニで買えばよいかと高をくくっていた。でも、ここにきて「次のコンビニで」と思い描いてから、なかなかコンビニに出会わない。そうこうしている間に、前方上部を横切る外郭環状道路の遮音壁が目に留まると、「さいたま市」の看板。もしかしたら、国道17号線の蕨市区間内にはコンビニがなかったのではなかろうかと勘繰った(じつは後で確認すると反対歩道側に1件だけあった)。結局、さいたま市内に入ってすぐの反対側に「セブンイレブン」が見えたので、道路を渡って水を買い求めた。

そうこうしているうちに、旧中山道への分岐に気づかずにそのまま歩みを進めてしまったため、提示されていた「スマホルート」から外れてしまったようだった。スマホの道案内もルート変更されてしまい、いつの間にか住宅地を進んでいた。武蔵野線をくぐったところまでは国道17号だったのに、その後いつのまにか住宅街に入り、ふと気がつくと近くに別所沼が見えた。そこでようやく気付いたのだけれど、「沼」というからには窪地に水が溜まっているということ。そういえば、住宅街に入ってから、わずかにアップダウンがあったような記憶がよみがえる。というよりも、そこであらためて気づいたのは、国道17号を歩いている際には、「ひたすら平ら」だったということ。

 「そうかここは関東平野なのだ」

との思いを強くしたのだった。

 どういうことかというと、私は国道を歩いてきたので、志村坂上から戸田橋まではゆるゆるとした下り坂を降りてきたわけなのだが、高島平から志村を挟んで小豆沢にかけては崖になっていて、そこが荒川河川の縁だということを感じることができる。ところが、地図を思い浮かべてイメージする限りは、荒川を渡った先の埼玉県内では、どちらに進んでも「崖」はない。つまり、中川から利根川までのエリアはほぼほぼ「平ら」だということ。

それまで私が思い描いてきた、「川が流れると陸地を削って谷ができて、河口付近では上流から運ばれた砂が拡がって扇状地となる」というイメージからすると、河川と河川の間には削られずに残された丘陵地がなければならない。実際、武蔵野台地の反対(南)側には多摩川が流れていて、成城や田園調布と言ったエリアは、多摩川の崖線となっているが、その向かい側を走るJR南武線(稲田堤~登戸~溝の口)を超えた先には丘陵地帯が広がっている。

なぜ、荒川と利根川の間には、「残された丘陵地」がないのだろうか。

というようなことを、関東平野を歩きながら考えたりしてみた。

(続)

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

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