WWNウエルネス通信 (2025年6月23日):「那須まで歩く(3)戸田橋を渡る」

さて、旧中山道の板橋宿を過ぎて国道17号に出ると、すぐに本蓮沼。ここから志村坂上のエリアは、ウエルネスウォークで歩いたことがある。国道を走る車を横目に見ながら広い歩道を進むので単調だけれど、店や建物が多様だし、左手の遠くにイオンの看板が見えた時には、ウォークで歩いた見次公園や常楽院の展示土器などが思い出されて、さほど飽きずに歩くことができた。

それはさておき、志村坂上から環八を過ぎたあたりは、荒川の河川敷へと向かう下り坂。ちょうど環八のラインが崖線になっているのだが、さすがに国道なので(崖ではなく)ゆるゆるとした坂を下る。降り切ったところで新河岸川を渡る。さらに進むと、荒川土手で歩道はストップ。すぐ左手に見えた階段を登って戸田橋に出る。思えば「荒川土手」なので、階段も100段近くの高低差。

右手の橋柱に「戸田橋」の銘板が見えたので、小豆沢公園に置かれていた「戸田橋の親柱」を思い出した。調べてみると、昭和7年から53年まで使われていた「第3代戸田橋」の鉄橋を撤去した際に、その親柱を近くの公園に留置したのだとか。東京側の親柱は小豆沢公園の野球場脇に置かれ、埼玉側は戸田市立親水公園に置かれているとのこと。でも、今日は、かつての親柱を見聞することが目的ではないので、そのまま戸田橋を渡る。

渡り始めてふと目に留まった左手の眼下では、少年野球(おそらく中学生)の試合が始まるところだった。最初のバッターだけ見ていこうと立ち止まったとたん、3球目をヒットした打球が大きくレフトの頭上を超えた。フェンスもない外野をレフトが必死に追いかけている間に、バッターランナーは1塁から2塁・3塁をけってランニングホームラン。なんともあっけない1点だった。河川敷での野球には(フェンスがないので)よくあることなのだろうなと、奇妙に納得した。

戸田橋を渡る間の右手には新幹線が見える。埼京線も混じって、なかなか楽しい景色。戸田橋を渡りきると、いよいよ埼玉県・戸田市。橋を過ぎてスロープを下った先で、新幹線の高架をくぐる。

よくよく考えると、東京都・板橋区(舟渡)と戸田を結ぶ橋なのに、「戸田橋」。さいたま側の地名だけが残されているということ。きっと、橋がなかった江戸時代に「戸田の渡し」と呼ばれていたことが由来なのだろう。もう少し勘繰ると、東京側の地名が「舟渡」なので、それが「戸田に向かう渡し」という意味だとすると、さいたま側というよりも江戸側からみた呼称だったとも言える。

(続)

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

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