先日、思い立って、自宅から大宮まで25kmの道のりを歩いた。
きっかけは、その1週間前。
毎年恒例の「本庄-早稲田100kmハイク」を目にした知人から、「昨日は中村さんも歩いたのですか?」と尋ねられたことだった。
20年以上前に何度か参加した(歩いた)ことがあったのだが、15年以上ご無沙汰だし、今参加してもきっと途中でギブアップするのだろうなと、少し寂しく感じたのだった。
以前にも少し述べたが、私が長距離ウォークを始めるようになったのは1998年11月のこと。最初は「10kmコース」だったのだが、様々な大会での経験を重ねながら、3年後(2001年)には「100kmハイク」に参加するとともに、オランダ・ナイメーヘンでの「フォーデーマーチ」で4日間連続50km(計200km)を完歩するまでにいたったのであった。
それまでは「50kmコース」が最長だったので、「100kmハイク」に初めて参加した際に、足裏の痛みに耐えてゴールを目指していた100km地点では、わけもなく涙があふれてきた。でも、翌年の100kmハイクではさほどの痛みもなくゴールできたし、3年目からは、一緒に歩くゼミ学生のケアをしながらも余裕でゴールできるようになった。
連続参加していると100kmが苦にならなくなってくるのは私だけのことではなくて、常連学生の中には、わざわざ前日朝に東京(早稲田)を出発して本庄まで歩き、翌朝10時に受付を済ませてから早稲田まで戻ってくるという強者もいた。彼らはそれを「200kmハイク」と称していたようだが、さらに飽き足らない学生の中には、わざわざ前々日に新潟を出発して、250kmを踏破した上で100kmハイクに参加する学生もいたらしい。そんな学生にとっては、何キロ歩いても足や膝が痛くなる心配は全くないようだ。そういえば、鉄道のない時代には、東海道を歩いて往復することを怪訝に思う人はいなかっただろうし、現代社会に生きる私たちだって、普段から長距離のウォークを体験していたなら、100kmだろうが200kmだろうが歩けるのではないかと思うようになった。
そして、今回の「大宮徒歩行」で私の心の中に潜んでいた目論見は、自宅から那須まで155kmを歩くことなのだ。
とはいえ、今の私には、それが途方もない戯言だということも分かっている。
じっさい、4年半前の年末に、自宅から岩槻までの30kmを歩いた際には、12kmごろから足裏の違和感が始まって、20kmを越えると痛みが激しくなり、電車で自宅に戻ったときには這う這うの体だったのだ。
それが4年半前。その30kmウォークの成果はいまでも残っているだろうか?
それを確かめることも、今回の「自宅~大宮25kmウォーク」の目標なのだ。
そして私は、2025年6月1日朝9時、リュック一つで自宅を出発したのだった。
(続)
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男