WWNウエルネス通信 (2025年1月7日):人はどうして幸福よりも健康を欲するのか?

前回、「他者の健康」について触れた。

すべてを紹介することはできないけれど、学生から寄せられる回答からは、様々な示唆をもらっている。

今年度も、次のような回答があった。

私以外の健康問題について私は生活習慣病があると考えている。この病気は肥満など不健康と言われるものに直接関わるのである。これらの病気になってしまう大きな一つの要因として、時間をかけずに高カロリーな食べ物を食べれるファストフード店がたくさんできてしまったからだと思う。食べている瞬間など短い目で見れば、美味しいものを食べられる幸せなどかなり健康ではあるが、長い目で見ると、それらの積み重ねにより肥満や他の病気をかかえるなどかなり不健康である。

この類の報告は、毎年数多く寄せられている。特に、女子学生が「スイーツなどが好きなのに我慢しなければならない」と語ってくれる時には、単なるメタボを超えて「痩身」に対する欲求の大きさを痛感するとともに、どうして「自身の幸福」を犠牲にしてまで「社会から望まれる状態」という目標達成を大切にするのだろうかと、いつも疑問に思っている。

思えば、私たちは子供のころから「今の喜び」を犠牲にして「将来のための忍耐」を行うことに慣れてきた。勉強するのは将来の仕事や成功のためだし、仕事をするのは生活や老後のためだったりする。「将来のために今を犠牲にする」という立派な態度は、いつごろから私たちにとって当たり前のことになってしまったのだろうか。

そういえば、先の「他者の健康問題」について語ってくれた課題回答の中には「ゲームばかりしている弟が心配」という報告もあった。昔ならば「遊んでばかりいて」としかられていたところが、今では「ゲーム」や「ユーチューブ」が目の敵にされる。もちろん、昨今では頭ごなしに禁止することは少なくなってきたようであるが、「できればやってほしくない」と願う親が大半なのではないだろうか。

ところで、私は中学生のころから近視で眼鏡のお世話になっているのだけれど、「目が悪くなるからあまり勉強しない方が良い」とは、一度も言われたことがなかった。

目が悪くなっても、猫背になろうとも、そのような健康問題よりも奨励される生活習慣もあるというのに、どういうわけか「甘いもの、飲酒、喫煙」という生活習慣が抑圧されているのだ。

もしかしたら、快楽を求める態度自体が現代社会では許されないことなのだろうか(そんなことはあるまい)。

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

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