WWNウエルネス通信 (2024年12月29日):「講義ノート」の話

前話(https://yoshionakamura.jp/2024/12/28/wwn-137/)には続きがある。

話が「授業の準備」から「講義ノート」に移ったとき、傍で聴いていた別の方が、ご自身の大学時代の話を披露してくれた。

なんでも、その方(私よりも5歳ほど年上)の学生時代の、とある教授の話。

その教授はいくつものクラスを担当していて、授業科目ごとに準備した講義ノートに則って話を進めていたのだという。ある時、話している内容が前回(前週)の話とほぼ同じであることに、その方が気づいた。そのまま講義は進み、前回と同じ話をして講義が終わったのだという。

 「きっと、たくさんのクラスを持っていて混乱していたのではないか」

と、その方は教授を気遣っていたけれど、いやはやものすごい「教育」が当時は行われていたのだなぁと、改めて感心させられた。

それはさておき、我が早稲田大学でも当時のそのような話題には事欠かない。私が助手として勤めていたころに(早稲田大学卒の)同僚助手から聞いた話では、

「ある先生の講義では、後ろの席からパタパタと頭が机に倒れていって『ドミノ倒し』と言われていた」

とか、

「ある先生は、30年前から同じ講義ノートを使ってしゃべっている」

とか。

ところで、私が東大の体育学科に進学したころ、私の兄貴が早稲田大学で受講した際の体育の教科書を私にくれた。「体育と生活」と記されたその教科書を我が家で目にして「ずいぶんと古いことを教えているんだ」と感心したことがあって、その10年後に私が助手として早稲田大学に勤めた折に、その先生が相変わらず同じ教科書を使って授業を担当していたことを知って、とっても驚いたのだった。

もう40年近く前のことなので時効だと確信して打ち明けたのだけれど、いまではそのような授業は皆無であることを断言しておきたい。

そういえば、私が30年前に担当していた「運動と健康」という講義も、(その講義自体は3年ほどしか続けなかったけれど)その先生の教科書の内容と大差ないような気もして、恥じ入るばかりである。

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

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