WWNスペシャル通信241118~魚住先生追悼サロンとこれからのこと

昨日、魚住先生を偲んで追悼サロンを行った。

冒頭で黙祷をささげた後に、2018年1月からこれまでに行われた計38回のサロンの内容を振り返って、折々の思い出と私の感想を申し述べた。

初回のテーマは「問題発見技法」。その「案内文」には、遊馬さんが次のような「開催趣旨」をしたためてくださっていた。

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《講座の趣旨》

魚住先生は「ほとんどの指導者は、問題を見つけられない」という。

以前、50名弱の治療家の集まりで、数年間にわたって首の問題に悩まされていたあるピアニストについて議論があった。ある治療家は「斜角筋に問題がある」、またある治療家は「姿勢に問題がある」などなど、様々なディスカッションがなされた。そこで、魚住先生は「ピアノを引くときの椅子の高さが合っていないのでは?」と指摘。言われるとおり椅子の高さを合わせると、その後問題は出なくなったそうだ。

この一件以来「もしかしたら、クライアントの問題をより複雑化しているのは我々なのかもしれない」と思うようになってきた。「見立て」はスタートであり、行き先を間違えると、たとえ素晴らしい技術があってもゴールにはたどり着かない。実際は「見立て」さえ間違わなければ、簡単な方法で身体は変わるし、簡単な言葉掛けで選手の動きは変わる。

我々の業界は問題に対処することは一生懸命考えてきたが、問題を見つけることに関しては重視してこなかったと言っていい。実際、問題さえ見つかれば、簡単なテクニックで身体は良くなり、簡単な言葉がけで選手の動きが変わっていく。

今回のサロンでは、実際に身体に問題のある数名の方に協力いただいて、「見立て」から手技までの一連の流れを魚住先生に実施していただき、それを見学。その後、どういう視点で問題点を見つけ対処したかをディスカッションする形式で進めていく。

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まさに、私たちは、このような問題意識から魚住サロンを開催したのだった。

その後、「巷のトレーニングのウソ・本当」とか、「本当の問題解決技法を学ぶ」「本質に迫る」「からだが整っていないことに気づくこと」などと、表題を変えながら対象者の「問題」に向き合ってきたということを、振り返りを通じて思い起こすことができた。

なかには「それが問題であること」に気づいていない方もいたし、症状が改善されたことを受け入れない(治るはずがないとの思い込みが消えない)方もいた。

追悼サロンの中で、魚住先生から学んだことを各々に語っていただく中で、最も多かった概念が「中間位」。多くは、それを「分かっていない(会得したい)」と語り、「まだまだ分からないことだらけ(もっと教わりたい)」との悔恨も多く語られた。

終了後には、いつもと同じように「懇親会」を開催。

魚住先生がいつも座っていた席は空けようかとも思ったのだが、人数が多くて座らざるを得ない。みんなで遠慮しあって、最後はTさんに座っていただいた。

それはさておき、懇談の話題は尽きなかったのだけれど、気がつけば「これからのこと」がずいぶんと話題に上った。魚住先生との付き合い(薫陶を受けた期間)は長い方もいれば短い(間もない)方もいて、魚住先生から教わったことの理解レベルもそれぞれ。当然に魚住先生の薫陶を自分なりに咀嚼発展させて魚住先生レベルに達している方もいるし、「銅板」の効能に最近気づいた方もいる。

と、いつのまにか、Kさんが隣に座っていたOさんの身体状態(問題)の改善アプローチを始めだした。すると、向かいのYさんが「もっとこうした方が良い」とのアドバイス。

つまり、そういうことなのだ。各々がトレーナとして、あるいはアスリートやスポーツ・フィットネスの現場に関わる人として、身体症状だけではなく、トレーナー技法の習熟レベルにおいても、考え方の整理においても、各々が各々の活動の中で多様な「問題」を抱えていて、他の皆がお互いに知恵や技能を出し合って、各々の問題解決に資することができるのではないか。そしてそれが、これまで6年間積み重ねてきた「魚住サロン」の財産を継承して発展させることにつながるのではないか。そんな想いがむくむくと湧き上がってきたのも、「追悼」の導きなのではないかと感じられた。

「次回は、OさんにアプローチするKさんの技法を皆で改善するという場にしてみては」

という私の提案を、皆が好意的に受け入れてくれたように思う。

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

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