昨夜は、妻も子も出かけたので、19時以降は我が家で一人で過ごしていた。
夕食も早々に終わり、21時過ぎには床に就く。
前夜もたっぷり眠ったせいか、なかなか寝付けなかったのだけれど、ふと気づいて時計を見ると深夜の1時過ぎ。「結局は寝ている」ということを確認して、また寝ようとしたのだけれど、今度はなかなか寝付けない。
かといって、何か考えているわけでもなく目をつぶって静かに時を過ごす。
ふと、家の中には自分一人だという思いも浮かぶのだけれど、別に寂しいわけでもない。
気になって枕元の時計をのぞくと、まだ2時前。1時間も経っていない。そのような「1時間」を2回ほど過ごして、4時少し前に、ふと先週読んだ新聞のコラムが思い浮かんだ。
すでに新聞は処分しているので、忘れないうちにコラムを保存しておこうと、やおら起き出してリビングの明かりを付けた。パソコンを取り出して、日経のサイトから所望の記事を探し出して保存。関連記事を2~3件読んで、また床に就く。
夜中に目覚めたときに、パソコンやスマホを見ると睡眠・覚醒のリズムが狂うので禁忌としていたのだけれど、「誰もいない」という気安さからの衝動的な行動。
あにはからんや、今度は眠れる気がしない。
そこでまた考えた。今夜はたまたまの独り夜だったけれど、もし私が妻に先立たれて独居だったとしたら、寝たいときに寝て起きたいときに起き、食べたいときに食べて出かけたいときに出かけるという生活のくり返しになるだろう。眠れないなら起きればよいし、深夜に目覚めたからといって翌日の仕事に差支えるわけでもなかろう。じっさい、このメールを読む方の中には毎朝3時過ぎに起床している方もいらっしゃるし、就寝や起床の時刻が定まっていない方もいらっしゃると思う。目覚めたら深夜であってもスマホを見ても良いし、シャワーを浴びても良い。
でも、幸か不幸か、本日は朝一番での所沢出勤だったため、6時に起きて7時前に家を出なければならない。5時過ぎには眠りについたとはいえ、目覚ましの音を消した時には、少し気だるかった。
結局のところ、私の生活リズムは、自分自身で律しているというよりは、他者との関係性の中で整えられるということ。妻と一緒に住むだけで、起きる時間や食事の時間が整えられるし、そもそも仕事(外出)の時間が定まっているから、自宅での生活時間が整えられるのだ。
自分一人の生活だとしても、他者との関係がいかに重い役割を果たしているのかを痛感した。もし私が退職後に独居になったとしたら、ウォーキングもさることながら、ゴルフの約束もたくさん入れて、生活リズムを整える必要がありそうだ。
こうしてみると、「10時前に眠っても睡眠だとカウントしてくれないスマートウォッチ」の存在も、私の睡眠を外部からコントロールする機能を話していたのかもしれないと、なんだか懐かしく思えてきた。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男