WWNウエルネス通信 (2024年2月25日):「セルフケアに落とし穴も」

昨日(2月24日)の日経新聞朝刊に、掲題のコラムが載っていた。筆者は、認知行動療法の大家である大野裕氏。

冒頭に、2月5日付の同紙に掲載された英フィナンシャル・タイムズ紙の記事から、「英企業の社員の心の健康への取り組みが見せかけの対応になっている可能性がある」という事を紹介していた。これは「ウエルネス(心身の健康)ウォッシング」と呼ばれていて、「マインドフルネスなどのセルフケア研修を行って、過剰な業務量や管理のまずさなどの構造的問題が見えにくくなるリスク」があるのだという。

 どういうことかというと、社員の心身の不調の原因が、本当は社内の構造的問題であるにもかかわらず、それを「セルフケア研修」を行うことによって、あたかも社員個人の問題として意識づける効果を持っているということだ。

 大野氏によると、セルフケアとは「自分で自分をケアして元気に生きていくようにすること」とのことなのだが、自分で問題解決しなければならないというような信念を醸成する端緒にもなるということなのだろう。

 大野氏が引用した英フィナンシャル・タイムズの記事の冒頭には、「多少の⼿⽴てを講じるぐらいでは⼤量飲酒の習慣から抜け出せない」と自覚している40代キャリアウーマンの例が紹介されていたのだけれど、何かにつけお酒を飲むことが習慣化している私にとっても聞き捨てならない話だ。

今のところ私は「酒を控えなければ」と考えることはないけれど、飲み過ぎて気持ち悪く感じた朝などは「なんでこんなに飲むのだろうか」と自分で呆れることも少なくない。もし私が、「お酒を控えるように」との言説を真に受けて実践したとしたら、飲み過ぎた朝には自責の念にさいなまれるに違いない。幸い私は「酒を控えよう」などとは露とも思わないので安心だけれど、世の中には「メタボ」を気にしたり「ダイエット」を信奉したりして、自身で設定した目標に到達できなかったりリバウンドしたりして挫折感にさいなまれる人もいるかもしれない。

 セルフケアとは「自身が幸せになるための手法」なのであって、セルフケアの責任を全部自分で背負うという意味ではないはずなのだ。

 心身が優れなくて生きづらさを感じたとしても、それを自分のせいにするのではなく、それを援助したり包摂してくれる社会を願望することもまた、大切な心構えなのだと合点した。

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

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