2025年4月13日。大阪夢洲で万国博覧会が開催される。
本日からその入場券の前売りが始まった。
今朝の日経新聞朝刊には、社会面記事でそのことが報じられるとともに、冊子中央の4ページ(23~26ページ)を使って全面広告と紹介記事が掲載されていた。
なんでも「強気の1400万枚」の前売券販売を見込んでいるようで、いよいよ後に引けない開催準備が進められるようだ。
電子チケットなのに「券」というのも奇妙で、同じ音を残すなら入場する「権利」という意味での「入場権」と言っても良さそうなのだけれど、そんなどうでも良いことはさておいて、見開き2ページを使った紹介記事に興味を惹かれた。展示予定のアトラクションの解説も面白かったが、有識者の評論に得心した。
一人は社会学者の吉見俊哉氏で、「1970年の万博が成功したのは日本が高度経済成長の過程にあったからであり、現在の成熟社会においては万博の意義を見直すべきで、開催を前提にするのではなくこれまでに人類が培ってきた文化の価値を見つめ直す必要がある」というもの。もう一人、建築家の伊東豊雄氏は、1970年万博の設計に携わったそうなのだが、「科学技術が明るい未来をもたらすという価値観」が前面に出てくるにつれて急速に熱が冷めて開幕前に身を引いたのだという。伊東氏の思いとしては「科学の発展のみに立脚するのではない『新しい暮らし』を模索する場」として前回万博を捉えていたのだという。そういえば、前回万博のシンボルとなった「太陽の塔」の設計思想は、当時(中学生だった)私には理解不能だったが、科学技術を超えた「生命の輝き」を象徴していたのだと知って得心した。伊東氏は今回は開会式などを催す「大催事場」の設計に携わるとのことで、「科学技術だけでは実現できないぬくもりや生命力を表し『いのち輝く未来社会のデザイン』というテーマに沿う自身のメッセージを伝えたい」とのこと。
あらためて、50年前と現在との時代の違いと、進むべき未来への眼差しの違いに感じ入った。
そしてまた、私が最近関心している医療技術の進化にも思いを巡らすことにもなった。
というのも、私は常々「20世紀は医療技術の時代で、人々が苦しみや悩みを解決するための手段として医療に依存していた」と考えているからだ。
当時は、病気は治すべきもので、その原因要素(菌やウイルスなど)は撲滅すべきものだという信念が横行していた。
そんな時代に私たちが期待したのは、身体の中の汚れや傷を取り除こうとする思想。癌を筆頭に菌やウイルスなど、異物(細胞)を除去するだけでなく、異物に侵された組織も含めて取り除いて無くしてしまった方が良いという考え方。そのような私たちのニーズを満たすために、医療技術が目覚ましく進化していったのが20世紀だった。もちろん、当初は「癌が取り除けるならば命が縮んでも良い」とか「生きているなら寝たきりのままでも良い」などといった過激な思想も登場したけれども、生活の質や生きがいと暮らしの豊かさを大事にしようとする風潮が少しずつ広まっていって、今に至っている。
その間、医療技術も時代に適うように目覚ましく進化して、より良い暮らしが継続できるようになることを主眼にした技術開発が進んでいる。もはや「命がありさえすれば身体(臓器)はどうなっても良い」などという思想は撲滅したのではないかと思うのだけれど、3年前に突如として起こった「コロナウイルス撲滅」を願う思想の跋扈を思い起こすと、まだまだ私たちの心の中の「清潔主義」は健在なのだと思う。
でも、大切なのは「命」なのではなくて「生きがいのある命」なのだ。
これが21世紀の思想の核となっているはずなのだし、そういう意味を「生命」という語に託したい。
1970年万博の太陽の塔が発していた(と今朝の朝刊で私が知った)「生命の輝き」という(科学技術による未来とは異なる)メッセージは、21世紀を生きる私たちの暮らしを見据えた設計家たちのから生まれたものなのだということ。そして、今回万博で掲げられた『いのち輝く未来社会のデザイン』というテーマは、単なる「命」なのではなく「生きがいの満ちた命」の輝きという意味であってほしい。
万博の成功は予断を許さないけれど、私たち一人一人の「生命の輝き」は絶対に成功させたい。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男