最近、「認知症でも心は豊かに生きている」という書(長谷川和夫著、中央法規、2020年刊)を読んだ。
著者は、「長谷川式スケール」という認知機能診断テストを開発した認知症の専門家で、2017年(88歳の時)に自身が認知症になってから「認知症のことが本当にわかった」と世間に公言した。「ようやく本物の認知症研究者になれた」とも述べている。
「年を取れば誰もが認知症になりえる」とわかってはいても、どこかで「認知症にはなりたくない」という自分がいる。それは私も同じだった。でも、本書を読んで、「(私が)認知症になっても不自由なく暮らせるように、周囲の家族や仲間を整えて(準備して)おけば良いのだ」とあらためて考えるようになった。
》認知症とは暮らしの障害です。
》暮らしは周囲の人とのかかわり方によって、いくらでも改善できます。
》認知症になっても、自分らしい生き方を続けることができるのです。
と、著者は述べる。
はずかしながら私も、「認知症の方の気持ちになって寄り添うことが大切だ」などと、共感することの重要性を口にしてはいたのだけれど、認知症の方の認識する世界が私の認識する世界とは異なるということを前提としていた。「寄り添う」という言葉も、私たち(健常者の)認識が正しいという考え方に基づく「上から目線」の見方だとまでは思わなかった。それが、
》認知症になった自分とそれ以前の自分には、そんなに大きな差がないのです。
》だから、認知症の人に接する時は、
》以前のその人とは違う特殊な人なのだとは思わずに、
》変わらぬ目線で接してほしいと思います。
という著者の言葉に打ちのめされた。
そうなのだ。「今日の自分は昨日までの自分とは違う」ということは、認知症でなくてもだれにでもどこでも起こること。もし、転倒して骨折したとしてもコロナに感染したとしても、「それ以前」とは違う状態になっているとはいえ基本的な人格には違いがないし、他者の接し方が優しくなることはあっても「特殊な人」とまで思われることはないだろう。それなのに、「認知症」と診断されると「特別な人」と思われるのはどうしてだろう。それどころか、あたかも人格が喪失したかのように絶望されることさえある。その救いの道が「認知症治療薬」だけだというのも悲しい。
15年ほど前(2007年12月)に、認知症で徘徊した老人が、JR電車にひかれて亡くなったという痛ましい事故があった。その事故に伴う損害賠償(720万円)をJRが遺族に請求して一審地裁で全額賠償が命じられるという(当時の私には信じられない)判決が下った。「責任をすべて家族に押しつけるのはおかしい」という世論が盛り上がったことはせめてもの救いで、その後(2016年)最高裁で「家族に監督義務なし」として家族を免責する逆転判決が出されて、私の心も救われた。
この間、認知症の患者や家族を取り巻く世間の認識はずいぶんと変わってきたと思う。
件の事故が起こった大府市では、2017年に「認知症条例」(通称)を定めて、認知症の人や家族が安心できる街づくりを進めているし、福岡県大牟田市では、 “徘徊”をなくすのではなく、安心して“徘徊”できる町にしようということを理念に、模擬訓練を実施したりもしている。この訓練は、当初は「徘徊模擬訓練」という名称だったが、「認知症の人の行動には理由があり、あてもなく彷徨っている訳ではない」という理解を広める観点から、“徘徊”という言葉を使わず、「認知症SOSネットワーク模擬訓練」に改称されたとのこと。最近では「徘徊」という言葉も使われなくなってきているようだけれど、「認知症」という言葉さえ必要なくなる社会になればよいのにと、私としては思っている。
》「私認知症なのですよ」と気軽に語れる世の中になった先にこそ、
》本当に幸せな生き方が待っているのです。
という、長谷川氏の著書の中の言葉は身に染みた。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男