掲題の書(T.シャーロット著、白揚社、2019)を読んだ。
表題の疑問文は魅力的な謎であり、その理由を知りたいと思って本書を読み始めたのだけれど、じつのところは「事実は人の意見を変えられない」という「事実」を前提として、「では、どうやったら他人の気持ちを変えられるのだろうか」という疑問を抱かせながら、「他人に影響を与える(意見を変える)ための技法」を提供してくれる。
「他人の気持ちをコントロールする」などというと、とても傲慢不遜に感じられる方も多いと思うのだけれど、先々週(8/15)に配信した「なにもしないをする」だって、子どもに「勉強しなさい」と語ることが、結局のところ「勉強してほしい/賢くなってほしい」という親(や先生)の気持ちを成就するための発語なのだとしたら、「なにもしない」という技法の方が効果的なのではないかという話だった。
つまり、「勉強しなさい」という発語には、「子どもへの影響力(達成される成果)」がほとんどない(=無駄だ)という「影響を与えるための技法」の話なのだと合点がいく。
これほどまでに、私たちの普段の行為の中には「他者に影響を与えたい/他者の意見を変えたい」という欲望に起因するものが多い。というか、私たちがしゃべったり書いたりすることの「言葉による発信」のほとんどは、「他者に影響を与える」ことを意識して発せられているということに気づく。
ちょっと回りくどい言い方になってしまったけれど、本書冒頭で著者は、2015年9月に行われた、アメリカ共和党の大統領候補者討論会でのドナルド・トランプ氏とベン・カーソン氏(小児神経外科医)の討論の様子を語る。
移民問題や税金に関する討論の間に自閉症についての議論が持ち上がった時のこと。それまでトランプ氏が「子供のワクチン接種と自閉症に関連がある」と主張していたことに対するカーソン氏の考えを司会者が問いかけると、カーソン氏は、
「非常に多くの研究が行われてきましたがワクチンと自閉症の相関を示す結果は報告されていません。論文を読んで事実を知れば正しい判断を下せるでしょう」
と回答した。それに対してトランプ氏は、
「自閉症は今や流行病ですよ……小さなかわいらしい赤ん坊を連れてきて注射をする……その注射器は馬に使うバカでかいものに見える。…つい先日二歳半のかわいらしい子供が、ワクチンを受けに行った1週間後に高熱を出しました。その後ひどく悪い病気になり、いまでは自閉症です」
と応じた。
この討論会をCNNで見ていた著者は、自身が神経科学者であり二人の小さな子供の母親として、カーソン氏が示唆した研究成果(論文)はたくさん読んでいたし「ワクチンと自閉症の関係」などありえないと思っていたのに、トランプ氏の発言を耳にしたとたんに「どうしよう?うちの子が自閉症になったら」との思いが去来したのだという。
もちろん、その後、カーソン氏が
「ワクチンが原因となった自閉症などないことは、十二分に立証されているんですよ」
と反論したものの、著者は、自身がトランプ氏の主張に説得されそうになるのはなぜなのかと問いかける。
結局のところ、「トランプ氏は、状況をコントロールしたいという人間の根源的欲求と、そうしたコントロールを失うことへの不安を巧みに利用した。彼は、他人の失敗を例に挙げて感情を誘導することによって、聴衆の脳の活動パターンを自分と同期させ、彼の視点を通じてものを見るように仕向けたのだ」という。
私は、このブログを通じて、さまざまな「事実」を皆さんに提供することで、読者の考え方、感じ方に影響を与えることを意図して、文面を創作してきた。当然のことながら、「正しい事実」を記述することしか私にはできないのだけれど、「事実は人の意見を変えられない」というよりも、「事実とは異なる表現」によって「感情を誘導」することができるし、その方が影響力を持つことも多いということを確信した。
「事実とは異なる表現によって感情が誘導される」のだとしても、そのように「感情が誘導されること」自体は「事実」なのだし、さらには「誘導された感情」は「他人が否定できない事実」なのだということもまた「事実」なのだ。
本書の末尾には、「本書について」という編集部の見解が記されている。
そこでは、「一方が明白な事実や数字を提示して相手の誤りを指摘するものの、全く意に介さずに議論が変更線をたどる」ということが、SNSなどで頻繁に起こっていることを指摘したうえで、「変えられないどころか、事実を提示したおかげで、相手の気持ちをさらに頑なにしてしまう場合だってある」とも述べる。
訳者あとがきでも、「事実やデータの羅列で読者の主体性を損なうのではなくて、研究論文をストーリー仕立てにして著者自身の生き生きとしたエピソードに惹きつけられて、いつのまにか感情が同期してしまう」という、本書の著者の執筆テクニックについても語られている。
そうなのだ。「事実の指摘」は、その受け取り手である読者や聴衆の「主体性を損なう」ということだ。そういえば、日本語には「伝家の宝刀」という言葉もあるが、一刀両断に結論を導こうとするやり方よりも、じんわりと相手の感情を誘導するというやり方のほうが、結果としての「影響力」を果たすことができるということなのだろう。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男