私の親友の岡部宏生君が自身の半生を振り返って綴った渾身の書が刊行された。
「境を越えてPart1 このまま死ねるか⁉︎」https://books.rakuten.co.jp/rb/17475254/
「このまま死ねるか⁉︎」というタイトルはいかにも仰々しいのだが、常に自身の死と向き合っている彼の思いが詰まった言葉だ。
彼と私との関係は先に報告したが、
「境を越えて」というのは彼が立ち上げたNPO法人の名称であり、17年前に発症したALS(筋萎縮性側索硬化症)によって身体機能が失われ続ける中で、わずかに動く眼球だけで意思を表示し続ける彼が、
「障害者と健常者の境を越えて共に生きることや共に在ることを社会に発信したい」
という思いを込めて紡ぎ出した名称だ。
その間、岡部は「何度も死にかけた」。
その生死の境は、トラブルに気づくのが遅れて「死にかけた」ことももちろんであるが、「本気で自殺を考えた」ことも一度や二度ではない。そのたびに、「今死ぬのは困ったな」とか「生きなければ」との思いで「生き延びた」。
発症から3年。2009年に岡部が呼吸器をつける(生きる)ことを決意したとき、
「生きるためには社会資源と介助者の確保が必要だ」
ということを知って愕然としたという。
「生きることを決意することと、生きていけることは別である」
これが、NPO法人「境を越えて」の設立の原点であり、「重度の障害を持った人々が、それぞれに自分らしく生きていけること」を目指す彼の活動の大きな柱でもある。
今回刊行された「境を越えてPart1 このまま死ねるか⁉︎」は、岡部が目指す理想郷に向けて、この現実を「知ってもらうこと」を願って刊行された。
ちょうど来週月曜日、その出版記念イベントが開催される。
私も同法人の活動を支援していて、このような活動に携わることができることはとても嬉しい。よく「障害は個性だ」というような言い方で障害者と健常者の区別を取り除く努力がなされることもあるけれど、そもそも障がいを持った(と認定される)方が「障害者」となるのは、社会の多くを占める「健常者」にとって住みやすいように社会の仕組みが作り上げられているからなので、障がいを持つ方が生きづらい世の中の仕組みをそのまま放置している状況のもとでは、「障害は個性だ」という言い方は「特別視せずに放置する」という宣言に等しい。
岡部の場合は、「生きるためには社会資源と介助者の確保が必要だ」ということが生命線で、社会資源と介助者を確立して今に至るわけなのだけれど、この世の中で「生きづらさ」を感じている人が直面する「境」には様々な様態がある。ウクライナやスーダンの方々の苦悩は言わずもがなだけれど、平穏な日本の中で子育てしている父母にだっていろいろな苦労があるはずだ。
「私が生きる」ということは「みんなと生きる」ということなので、生きづらい人が一人もいない社会、「障がい者」という言葉さえない社会が実現できたら良いなぁと、心から思っている。
本書を手に取られた皆様と、そんな理想を共有できたら嬉しい。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男