一昨日(金曜日)、那須に移動した。今年の冬はほとんど来ることができなかったので、一週間滞在できるのは久しぶりのこと。
とはいえ、到着直後(金曜午後)には大学の会議があり、翌週火曜日は朝から晩まで会議。オンラインで会議ができるようになったからこそ、今回の那須滞在が可能になった。当地(フィンランドの森)で行われている「若返りプロジェクト」の打合せや近隣視察が今回の滞在の目的だけれど、便利な世の中になったものだ。
那須街道を登ってくると、所々に桜が拡がり道路には花びらが積もっていた。満開直後の散り始めなのだけれど、7年目にして初めて見た光景。こんなところに桜の木があったのだと戸惑うほどに、桜が開いていた。思えば、4月上~中旬は学期(授業)が始まったばかりの頃で、当地での桜満開の時期に訪れることがなかったのだろう。今年は、授業日程の大幅な改変があって、この時期にまだ授業が始まっていないことから鑑賞できた景色ということ。生活の習慣やリズムが変わると、見える景色も変わるのだなぁと改めて感じ入った。
その夜、何気なく履いた(那須で使っている保温用の)ソックスの足裏に穴が開いていたのに気づいた。母指球と小指球の間、第3中足骨頭の裏の位置。25~20年前に長距離ウォークを盛んに歩いていたころには、その箇所に何度も肉刺ができたし、今でも角質化痕が残っている。そもそも、私の左足は母指球から小指球にかけての「横アーチ」がつぶれているので、第3中骨頭裏が床面(靴中底)に接触することが原因だ。かつて(20年ごろ前まで)は、靴下の当該箇所がすり減って使えなくなることが常態だったが、そのうち踵部がすり減るようになり、今では右母趾指先に穴が開くことが靴下を捨てるタイミングとなっている。つまり、その間に「靴下がすり減る箇所」が変化してきたということ。「足と靴との接触摩耗箇所が変わる」ということでもあって、おそらくは「歩き方が変化してきたこと」がその原因なのだと推察できる。
それなのに、どうして那須の室内ソックスに「昔のすり減り」が生じたのだろうか?
このソックスは、秋から春にかけて、夕方の入浴後に履いて朝まで装着している。寒い季節には装着したまま寝ることもある。室内ではスリッパをはいていて、2階の寝室との往復で階段の昇り降りも多い。
今回、何気なく階段を降りた時、すり減った部位で着地していたことに気づいた。つまり、スリッパ歩行(階段昇り降り)の着地時の衝撃で靴下とスリッパ中底とが接触摩耗するのだろうと判明した。夏に裸足で降りるときにはつま先を接触させて着地するので、スリッパ履き特有の歩き方なのだろう。もしかしたら、庭で履く長靴で歩くときも同じかもしれない。
足裏をみると、右足裏の第3中足骨頭部位にはかろうじてくぼみ(凹型)が認められるのだけれど左足裏は逆に膨らんでいるようにも見える。穴が開いていたのは左足の靴下だったのだけれど、反対側の同じ個所もすり減っているのは、靴下に左右の区別がないからなのだと合点した。
靴を履いて戸外を歩くときには「足先を意識」して歩いていても、室内のスリッパ履きでは「ペタペタ歩き」しかできない。私の日常は、椅子に座っているか室内の移動が大半を占めるので、そのような「日常」が私の身体や動作を作り上げていることを、靴下のすり減りから感じ取った次第である。
大学の1コマの授業時間が90分から100分に代わり、半期の授業回数が1回減って14回になって、その分、春学期の授業日程にゆとりができて、その間に必要な会議がオンラインになったからこそ、桜が散り始める時期に那須に滞在できたのだけれど、そこでまた、「靴下のすり減り」に気づいたことは、何かの因縁だろうか。
思えば、私たちの生活環境は毎年毎年少しずつ変容している。「若返りプロジェクト」もそのような変容をもたらすきっかけになるのだろうけれど、同時に些細な生活行動もさりげなく変わり、私たちの身体にも影響が及ぶということだ。
ウォーキングでも、歩くからこそ見える景色がある。
今朝は一面の雪景色。桜の花々もすっかり雪化粧。
これからも、自分の身体に向き合って「変化」に注目していきたい。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男