WWNウエルネス通信 (2023年2月6日):「できること」への希望

先週金曜日、久しぶりに那須に来た。

11月3日に妻が落馬して右鎖骨を骨折。11月8日に手術したものの、手術部位の感染が発覚して12月に再手術。その後、分離した骨が皮膚を突き破り、その先端を削り取るために1月中旬に再々手術となった。延べ25日も入院していたために、那須に来るどころではなかった。

 それまでは平均して月に一度は来ていたし、妻は当地で「若返りエクササイズ」と称する体操指導をしていたことから一人で来ることもあったので、3か月も留守にしたのは初めてのことだった。もっとも心配だったのは「水道の凍結と破損・水漏れ」。この3か月間に2度の「大寒波」が報じられ、そのたびに管理事務所から「凍結注意」の警告メールが届いていて、最悪の事態も想定していた。幸い、大事には至らなかったけれど、風呂場の混合水洗は凍結・水漏れしていた。

 一昨日は、落馬した乗馬クラブに出向いて術後の経緯と状況を報告。昨日は、11月以来休止している「若返りエクササイズ」の主催者(フィンランドの森の人見会長)にお詫びの挨拶に出向いて、今後の計画を相談するとともに、那須動物王国にも出向いて(挨拶はしなかったものの)様子伺いを果たした。

 この間、破損した風呂場の混合水洗を交換したり、家の周りや雨樋に堆積している落ち葉を掃除したりと、いわゆるメインテナンスの仕事が立て込んだけれど、昨日午後は久しぶりに本を読む時間がとれて、本日はこの通信を書く余裕も生まれた。

 妻が患った骨折は、ちょうど右鎖骨の中央くらいで折れて、両端の骨の他に、指先ほどの破片と細かな小片に分割していたのだけれど、プレート接合術後の画像は極めてきれいに整っていて、「細かな小片も集められた」とのことで、一か月もすればきれいに接合するはずだった。ところが翌月に患部の感染が発覚し、プレートを抜去した2度目の入院中に「鎖骨ズレました」とのラインが来た時には、彼女はかなり落ち込んでしまっていて、かける言葉もなかった。でも、年が明けてからの3度目の手術で骨を削った後は、患部も安定してきて、随分と前向きな精神状態に戻ったように思う。

 この間、魚住先生には折々に相談にのっていただいて心の支えになってくれたことは、何よりも有難かった。その他にも数多くの皆様から助言や激励支援のお言葉をいただいたこと、記すことができないけれど、すべての皆様に感謝の意を表したい。有難うございます。

 ところで、じつは私はこれまでに、「鎖骨」や「鎖骨骨折」のことをほとんど知らなかった。

今回の件を経て私が知ったことを要約すると以下のようになる。

  • 鎖骨は折れやすい(全骨折中約10%を占める)。
  • 成人では(そのままでは骨がつかない可能性が高いので)切開して固定術を行うことが多い。
  • 手術に際して感染リスクをゼロにはできず、感染した場合は「感染除去」が最優先。
  • 鎖骨は肩関節の動きや荷重を支えるうえで重要な役割を果たしてはいるとはいえ、折れた骨が完全に癒合しなくても身体機能不全の程度は低い。

いずれもご存じの方にとっては当たり前のことで、私の無知をさらすだけのことなのだけれど、「大したことではなかろう」との私の思いには全く根拠がなくて、それを妻に伝えて安心させることはできなかった。2度目の切開術後に「骨がズレた」と嘆いていたころは、もしかしたら彼女は、人生の仕事(喜び)の大半が失われたかのような精神状態だったようだ。

 月に1度程度の「乗馬」の他に、「若返りエクササイズ」のレッスン指導や東京での「子ども食堂の手伝い」なども、彼女の日常を支えていたのではないかと思う。それが骨折以降の2か月間できなくなっただけでなく、「きれいに繋がった」と喜んでいた鎖骨が分離してしまい、この先感染が進行して骨髄炎になってしまったらとの不安にさいなまれていたとしたら、落ち込んでしまうのも無理はない。

 難病や不治の病に罹った際に深い悲しみを感じるのは正常な過程で、それが「予期された死」の場合には、一般的に「否認/怒り/取り引き/抑うつ/受容」という5つの感情的段階を経験するという。

妻の事例について、私が他人事のように軽々しく述べるのは誤解を与える危険もあることは承知の上で申し述べるのだけれど、単なる「鎖骨の骨折」であったとしても、彼女の場合は「接合しないかもしれない骨折」に対して、知らないが故の不安を膨らませた「抑うつ」を経て「受容」のプロセスをたどったのだと思う。

 「3度目の手術」に際して、(魚住先生も含めて)私の知人に尋ねまわった折に、そのうちの一人(整形外科医)が、

 「感染さえ落ち着けば、乗馬を含めてほぼ元通りの日常生活に戻れると思います。」

と述べてくれた。そのフレーズをそのまま伝えた時に、彼女の表情が変わったような気がした。魚住先生だって「乗馬ができるようになる」ことは語っていたと思うのだけれど、「抑うつ」の精神状態には届かなかったのだろう。

結局のところ、

 「できなくなる」という絶望を感じる心の状態(抑うつ)から、

 「できること」への希望を感じる心の状態(受容)への転換が、

なによりも大切だったのではないかと感じている。

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

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