先週のゼミで、学部生が(私に対してではないけれど)苦情を訴えてきた。どうやら、小手指駅でエスカレーターを歩いて登ってたら、右に立っていた人から『歩くな!』と叱責されて、手で進路を遮られたとのこと。
おそらく背景はエスカレーター条例。
埼玉県では、一昨年10月から、県条例で「エスカレーターでの歩行」が禁止された。具体的には、
利用者には、「立ち止まった状態でエスカレーターを利用しなければならない」、
管理者には、「利用者に対し、立ち止まった状態でエスカレーターを利用すべきことを周知しなければならない」
ということが、各々義務付けられた。件のゼミ学生は「警察だと言われた」とのことであるが、駅構内で警察の取締りが行われるとは考えられないので、おそらくは、正義感に駆られた一般人の仕業と思われる。
罰則のない条例なので、直ちに効果が現れるとは思えないのであるが、施行後1年以上たっても、一向に「歩く人」が少なくなる気配がない。私は時折、敢えて「右側に立つ」ことがあるのだけれど、左側を追い越す人もいるし、後ろから「歩け」となじられたこともある。
つまり、「エスカレーターの右側に立つ(歩かない)」という乗り方は、現状では「歩いて進みたい人」への迷惑となると同時に、そのような方から邪険に(時には叱責)されるリスクをはらむ乗り方だと言える。
一方で、「右側を空ける」という配慮によって左側に乗るための順番待ちが生じるので、「歩かずに立ったまま乗りたい」と思う人にとっては「順番待ち」という不便を強いられることになる。時間にゆとりがあって急がないのだとしたら、順番待ちで並んでも気にならないかもしれないし、「急ぎたい人」と「ゆっくり乗りたい人」がお互いに配慮して左右を分け合っているうちは「麗しいマナー」として皆が尊重できていたのだった。
ところが、「立ち止まって乗る(歩かない)」ことが義務付けされたら、順法精神の高い方は(急いでいても)立ち止まって乗るべしと自制しているのに、右側に立ち止まっていたらプレッシャーをかけられるし、左側に並ぶと余計な時間がかかるという不利益に堪えなければならなくなる。おそらくは、このような不満が「エスカレーター警察」ともいえる行動を誘発させたのではないかと思われる。
このような「片側空け」が始まったのは、第2次世界大戦時の英国・ロンドンの地下鉄だと言われる。日本では、1967年頃、大阪・阪急電鉄の梅田駅で呼びかけが始まったのが最初らしく、70年の万国博覧会に登場した「動く歩道」で「片側空け」が推奨されたことで、全国に広まる素地ができたのだと思う。東京では、1980年代に少しずつ浸透して、90年代にはほとんどのエスカレーターで「片側空け」が標準的になった。
この間、「エスカレーターの片側を空ける」という乗り方は、「紳士の国・英国に見習おう」というような文句とともに「優れたマナー」として普及していったらしい。もちろん、詳細な根拠はないのだけれど、20代から30代にかけての私は、そのことを肌で実感してきた。
それがいつの頃からか「歩かずに立ち止まる」という乗り方が推奨(規制)されるようになった。これも、正確な根拠資料は見つからないのだけれど、そもそも片側を空けることの不合理さを当初から確信していた私の信念を裏付ける(他者の)言葉として私が耳にしたのは、2000年頃だったと思う。そのうち、少しずつ「片側を空けることの弊害」が指摘されるようになって、2010年代に入ると、片側を空ける弊害として以下の3点が語られるようになった。
1)時間当たりの輸送人員が低減する(歩いて登る側の待ち時間の方が長くならないと全体の輸送効率は上がらない)。
2)歩く人が立っている人に接触して事故が起こる(エスカレーターで起こる事故の2/3は歩行者の接触)。
3)歩く振動でエスカレーターの摩耗が激しくなり、保守費用がかさむ(片側だけの摩耗のために保守交換頻度が高くなる)。
もちろん、歩きたい人(急ぎたい人)にとっては、事故以外については「社会的コスト」として負担してほしいところであろうし、エスカレーター幅を広げれば事故発生率も下がる(歩いても安全になる)だろうという意見もある。
じつは私は、たいていは「立ち止まって乗りたい」のだけれど、空いている右側を急いで歩くこともある。ただ、(左側に乗りたい人が並んでいて)右側に誰も乗っていないときには、「右側に立つ」と決断しながらも(後ろから押される)不安を感じて歩いたりする。
私の行動は優柔不断なのだけれど、「エスカレーターは歩かない」と決めてくれて皆が歩かなくなれば安心できるのにと、この条例にはかなり期待していた。
さて、長々と状況説明を続けてしまったけれど、結局、このような背景を踏まえて、「(禁止されているはずの)エスカレーターを歩く人」を心良く思わない人もいて、「行く手を遮る」という強硬手段に訴える輩が現れたということ。法律(条令)が定められた精神から言えば、「利用者の自主的な行動」に期待するところが趣旨なので、不快に思ったとしても強硬手段に訴えるのはいかがなものかと思う。でも、自身の正義感に基づいて他者に同じ行動を強要したいと思う方は、コロナ禍の最初の時期にも横行したし、今に始まったわけではない。「エスカレーター警察」という言葉は、まだ一般用語ではないけれど、いよいよ出現し始めたということだろう。
そういえば、昨秋、条例施行1周年を機に、大野知事や県議会議長らが主要駅の街頭に立って「左右両側に立ち止まろう!!」をキャッチコピーとした呼び掛けを行った。当然のことながら皆《マスク》姿。一旦定着した行動習慣をただすのは容易なことではないので、来年あたりには「マスクを外そう」キャンペーンが必要になってしまうのかもしれないと、少し心配した。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男