年が明けて、同僚のH教授との初仕事。
「中村先生の今年の目標は何ですか?」
と、いきなり尋ねられた。
3秒ほど考えて、
「学会が編纂する入門書を発行することでしょうか…」
と答えてみた。
その学会は、私が運営責任者(H教授は会長)を務めており、一昨年夏から「大学生向けの入門書」を発刊しようと会合を重ねているのだけれど、あと一歩のところで逡巡していたのだ。
H教授も、
「私も3月に本を出します」
と応えてくれた。それに加えて、幾つかの「意気込み」もお話しくださったので、大したものだと感心した次第である。
それに比べて、私の「目標」は、すでに1年半もかけて進めていることをなんとか完了させたいというもので、「時が解決しない」=「努力を必要とする」という意味では「目標」ということも許されるかもしれないけれど、「目標」として掲げるには少し気が引ける。
そもそも、「目標」と言えるのはどのような事柄なのだろうか。例えば、
「毎週欠かさずウエルネス通信(ブログ)を続ける」
という抱負ならば、これまで必ずしも毎週発信しているわけではないから不思議ではないかもしれないが、
「ウエルネスウォークを実行する」
ということを宣言したとしても、すでに予定通りに実現していて今年も計画通りに進むことを疑っていないので、わざわざ「目標」と宣言するのも奇妙な話だ。
このように考えると、「目標」とは、「何も行動しなければそこにたどりつけないけれども、少し頑張れば実現できる事柄」とでもいえるのだろうか。もしかしたら、その文言の「少し頑張れば」の箇所を「運が良ければ」などと言い換えてみると、「目標」ではなくて「夢」になるのかもしれない。
さしずめ、大学生ならば、「就職活動を成就する」とか「全科目で優を目指す」とかになるのだろう。毎年成長する若者ならば「夢」でも「目標」でも設定しやすいのかもしれないが、そろそろ「悠々自適」を目指したくなる私にとっては、「目標」を定めずに日々を過ごすことも簡単にできてしまうからやっかいだ。
つまり、そういう私にとってこそ、「今年の目標」を立てることが大切なのだろう。
そのように思考した挙句に、幾つかの目標を立ててみた。
・Wasedaウェルネスネットワーク活動のすべてを着実に成就する。
・今年の大学院生を全員卒業させる。
・入門書発刊を含めた学会の仕事を満願成就する。
・ゴルフのハンディを少し上げる。
このように挙げてみて、これが私の現在地なのだと納得する。
少なくとも、
「新しいビジネスに挑戦する」
などと書けないことが少し歯がゆい…。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男