WWNウエルネス通信 (9月25日):「これまでに経験したことのない…」

本日は久しぶりの晴天。

2週続いた「連休中の台風」に被災した方もいらっしゃるので安易には喜べないが、「今年初めての秋晴れ」の喜びをかみしめている。

それにしても、今回の台風は、風の強さよりも大雨が特徴であり、台風の中心とは遠い地域にも線状降水帯をもたらして、雨が過ぎたと思ってもその後の土砂災害が警戒されたという点で、これまでに私たちが備えてきた台風とは少し様相を異にしていたような気がする。

そしてまた、台風が接近する前から、「これまでに経験したことのない規模」ということがたびたび謳われていて、私たちに大いなる警戒を準備させた。交通各社も台風に備えて「計画運休」を実施したり、いったん小田原で7時間も停車待機していた東海道新幹線が東京駅に引き返すなど、これまでとは少し異なる慎重な対応が散見された。

それはさておき、ラジオから流れていた「これまでに経験したことのない規模」というフレーズには違和感を覚えたのだけれど、そういえば最近このフレーズが多用されているような気もしてきた。

調べてみると、その根拠は、2013年に公布・施行された「気象業務法及び国土交通省設置法の一部を改正する法律」によるもので、それまでの基準をはるかに超えた「非常に危険な状況」にある場合に最大限の警戒を呼びかけるために行われることになったそうだ。その特別警報では、「経験したことのないような異常な現象が起きそうな状況です。ただちに命を守る行動をとってください」「この数十年間災害の経験がない地域でも、災害の可能性が高まっています。油断しないでください」といった警告が行われるとのこと。

つまり、私が覚えた違和感は「本当にだれも経験したことのない大雨なのか?」とか「伊勢湾台風よりも大きい台風ということ?」いう素朴な疑問で、その言葉を文字通りに受け止めた違和感だったのだけれど、災害を予防するために国民に呼びかける「言葉」として定められたメッセージだったということ。

その立法時に想定された災害の程度は、2011年の東日本大震災における大津波(1万8000人以上の死者・行方不明者)、1959年(昭和34)の伊勢湾台風の高潮(5000人以上の死者・行方不明者)、2011年の台風第12号(紀伊半島で100人近い死者・行方不明者)などだったとのことで、つまり、私たちがこれまでに「経験したことのある」大災害を防ぐための「言葉」だったようだ。

今回の台風では、残念ながら亡くなった方のニュースも報じられたとはいえ、被害報道のほとんどが避難や物損だったことから、「命を守る行動」の警報効果があったのだと思う。その意味では「これまでに経験したことのない大雨」というメッセージによって私たちの警戒心が喚起されたことが奏功したのだろう。

でも、それでも、である。

平成の30年間に、気象庁が名称を定めた豪雨災害は13件(令和は昨年までに3件)、大地震は15件、火山噴火が5件と、30件以上(平均して年1回程度)に及ぶ。大雨がなかった年も「猛暑」だとか「豪雪・吹雪」だとか、数々の「これまでに経験したことのない」と言えるような異常気象に見舞われている。

もしかしたら、私たち人類は、(これまでに経験したことのない)初体験を毎年のように頻繁に繰り返しているのではないだろうか。つまり、「これまでに経験したことのない体験」を繰り返してきたのが人類の歴史なのかもしれないということ。

そういえば、「コロナウイルス」だって人類にとっては初体験。「これまでに経験したことのないウイルス」などと呼ばれることもあった。でも、2003年のSARSをはじめとして、MARSや新型インフルエンザなど、今世紀に入ってから20年ほどの間に「これまでに経験したことのないウイルス禍」に見舞われているではないか。

戦争・紛争・暴動などの人為災害まで含めれば、災害に見舞われない安心できる状態が当然だと思い込むのは軽率なのかもしれないとも感じる。

私たちは「災厄のない日常」があると信じて、大雨や地震やウイルスなどの大災害を「一時的な災厄」だとして「復興=平穏な日常への復帰」を希求するのだけれど、そもそも「大災厄」自体を「日常の一部」として受け入れて、そのような「日常」への対応に普段から馴染む事こそが大切なのではないだろうか。

気持ちの良い秋晴れの昼過ぎに、そんなことを思ったりもした。

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

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