先週、65歳の誕生日を迎えた。
数多くのお祝いの言葉や品をいただいき、改めてこれまでの人生を振り返るとともに、これからのことに思いをはせた。
一般的には、60歳のお祝いの方が盛大なようだけれど、私にとっては「65歳」という節目の方に重みを感じる。なにしろ、その日から正式な「高齢者」の仲間入りを果たすのだから。
ちょうど、敬老の日の今朝、ラジオから「東京都の高齢者人口」が報じられた。
今年9月15日時点での東京都在住の65歳以上高齢者数は312万人377人とのことで、私がそのうちの一人に数えられたことに感慨を覚えた。
「正式な高齢者」といっても日々の生活に変化があるわけではないのだけれど、これまで私が身構えてきていた「年金」手続きにいよいよ直面するということ。63歳の誕生日を前にして届いた「特別支給の厚生年金」の手続き書類は、すべて記入して提出しようとした段になって、給与所得のある私にはまったく無意味な申請だったことが判明してそのまま放置した。まだ給与はいただいているので、年金自体の支給はないのだけれど、70歳まで繰り下げると4割増しになるという情報に接すると、「どのように手続するのか=手続きミスが起こらないか」と気になっていた。
そしていよいよ65歳。あらためて年金機構のホームページで確認するのだけれど、いくら読んでも腑に落ちない。「手続きができるのは66歳以降」とかを見ると、来年以降に手続きをすればよいのかと思うし、「在職老齢年金の制度によってカットされた老齢厚生年金は繰下げ受給の対象となりません」とかを読むと、結局のところ70歳まで勤める私には繰り下げ受給の資格がないのではないかとか、様々な思惑が交錯する。年金事務所に訪ねれば即座に解決するのかもしれないけれど、まあ、「5年の時効」があるようなので、もう少し様子を見ようなどと、結局のところ「先送り」。
でも、お金のことよりも「時間」の使い方の方が大切。
今のところ、仕事をしてるので充実した時間を過ごせているけれど、「退職したら暇になる」という事態は避けなければならない。WWNの仕事も学会関係の仕事も含めて、大学以外の仕事も多いし、ゴルフに行く時間も欲しいので、退職したから暇になるということはないのだけれど、これからの人生をもっともっと大きな仕事に費やしたい。と、小さいながらも夢が膨らむ。
ところで、「敬」という語を他人に向けると「うやまう/尊ぶ」という意味になる。つまり、「敬老の日」というのは「老人を敬う日」と解釈するのが一般的だろう。でも、「敬」という語には、「慎む/真心を込めて努める」という自分自身の態度に向けた意味があるようだ。つまり、65歳を迎えた私にとっての「敬老の日」は、「自身の老年人生に真心を込めて努める」という意味に受け止めても良さそうだ。
こうして「正式な高齢者」となった私にとって、65歳の誕生日、そしてまた敬老の日は、本当の「老年人生」のスタートの日。あらためて、これからの人生の有意義な発展に尽くしたいと思う。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男