WWNウエルネス通信 (9月5日):「生活環境の変化と体調」

8月30日(火)。30日間滞在した那須から帰京した。

 ほぼ毎月のように数日滞在するときも、昼過ぎの電車に乗って16時過ぎに自宅に戻るのが通常。帰宅直後にオンライン会議に参加することもあったし、今回もいつもと同じような日常がすぐに戻るものと思い込んでいた。

 ところが、今回は少し様子が違う。溜まっていたひと月分の郵便物を開封するものの、てきぱきとは進まない。あまりにも暑くて汗だくだったからと思い、シャワーを浴びたのだが、どちらがシャンプーなのかと迷ったり(リンスとの位置が那須とは逆だった)、シャワーの出し方にも戸惑ったりした。夜中にトイレに起きようとしたときに、ベッドから降りる向きを間違えたり(那須ではどちら側にも降りられた)、起床後の洗顔でも、歯磨きを探して戸惑った。

 30日も自宅を離れていたので、どこに何があるのかも思い出せないのもしかたないとは思ったものの、一番びっくりしたのが起床時のトイレ。

 私は、起床時・朝食後・昼食後と、調子のよい時には1日に3回の排便がある。もちろん、忙しかったりして時間が取れないときは1日1回だけのこともあるし、午前や午後の仕事の状況によっては食後の排便ができずに1日に2回のこともある。

今回の那須滞在でも、最初のころは便意があるのになかなか出なかったり、思わず息んでしまったりすることもあったのだけれど、滞在中にだんだんと快調になって、最後の1週間は、

 「トイレに座ると何も意識しなくても自然に落ちていく」

という境地に達していたのだった。

 ところが、帰宅して一晩寝ただけの翌水曜日の朝は、確かに便意を催しているのに、トイレに座っても気配がなかなか現れない。3分ほど待っただろうか。その日はウォーキングの下見があるので、朝の時間を悠長には過ごせない。しかたないので、少しだけ息んでみて、反応を待ったのだけれど、少量の便が出ただけ。前日の飲酒量も決して多くはない。

 夕食も妻が作るいつもの夕食だったし、仕事に追われたわけでもない。

それなのに、昨日はあれほど快調な排便だったのに、たった1日でこうも変わるものなのか。気候のせいなのか、あるいは自宅の狭さのせいなのか。

 あれこれ理由を思い浮かべてみるものの、全く見当がつかない。

 そうこうしているうちに、時間が迫ってきたのでウォークの下見に出かける。

 その日は「新小岩駅集合」。さほど混んではいなかったのだけれど、地下鉄~JR総武線と乗り換えて、改めて「電車に乗るのが久しぶり」だと感じた。

 じつは、当然のことながら前日も那須塩原から自宅まで、宇都宮線と地下鉄を乗り継いできたわけで、「久しぶりの電車」は昨日のことだったと気付いた。

 

 それと、もう一つ。その日は「新小岩駅10時集合」だったのだけれど、「間に合うように家を出なければならない」=「起床からの時間が自由にならない」という気持ちの焦りがあったのかもしれない。

 そういえば、そもそも「那須に移動した当初」も、「最初のころは便意があるのになかなか出なかったり、思わず息んでしまったりすることもあった」のだから、「東京-那須間の移動」自体が排便の不調をもたらす可能性もある。

「自分の身体の状況(不調)を知る」ということはなかなかに難しいのだけれど、私にとって「排便状況」は、生活環境のストレスによってもたらされる身体状況(体調)のバロメーターともいえるだろう。

 ちなみに、翌木曜日は、早稲田での仕事を再開したし、夕方には授業(ゼミ)も行った。金曜日はウォーク(来年3月コース)の調査と、すっかり東京での日常が復活した。そして、9月3日(土)の朝。起床時の排便はかなり復調していた。でも、その日再び那須に移動したところ、翌朝は便の出が悪い。

こうして私は、自分の生活(変化)と排便の関係を少しずつ修得していくのであった。

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

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