WWNウエルネス通信 (7月31日):「障害の社会モデル」

前回紹介した、海老原宏美さんの著書「私が障害者じゃなくなる日(※1)」は、とても簡潔明瞭で読みやすい良書だ。

彼女の子供のころからの様々な人生体験(エポック)を題材にして、彼女の身体を不自由にする「身体機能不全」は、様々な技術や工夫で乗り越えることが可能なのだけれど、じつのところ社会の様々な仕組みや人々の意識・態度が、海老原さんの「生きづらさ=障害」を増長しているのだということが、とても分かりやすく記されている。

全編平易な話し言葉でイラストも多用されており、子ども向けに書かれているのではないかとも感じられたほどである。

さもありなん、その一部(100〜117ページ)が、中学校2年生〜高校1年生向けの国語の副読本として使用されることになったとのこと。子どもたちを通じて海老原さんの生き方や考え方が広まったら良いなぁと心から願っている。

前回の繰り返しになるけれど、身体の機能不全自体を「障害」とみなして、健常者に近づくように治す(当事者の身体を変える)ことに注力する考え方は「医学モデル」と呼ばれる。この医学モデルにおいては、「健常者」に適合している社会で生きやすくなるためには「障害者の身体を変える」ことが要請されるというわけだ。

これに対して「社会モデル」では、「障害」の原因が社会環境にあると位置づけて社会を変えることで「障害」を取り除こうと考える。

この社会モデルに基づけば、「障害者」を生きにくくしているのは、その身体機能不全そのものなのではなくて、障害(機能不全)を持った方が住みにくくなるような社会なのだ。そして、「障害者はかわいそう」と思う人々の心持や態度が、障害者への差別の源泉になるのだという。

障害者が特別で保護されなければならない存在として位置付けられ、「障害」を良くないもの、なくすべきものとみなしてしまう私たちの何気ない意識は、だれもが遭遇する可能性を持った「障害」の本質を覆い隠して(見ないようにして)しまう。

「私たちを障害者にしているのは社会の環境です」

という海老原さんの言葉は、障害者と触れる機会のない多くの人々に共感してほしいと、私は願ってやまない。

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ところで、10日ほど前の木曜日。毎週のようにゼミに参加してくれているOBのMさんにその書を貸した。向学心に燃える彼の研究意欲を満たすためにと、折々にゼミ室の本を紹介していたのだけれど、たまには毛色の変わったテーマも良いかと思って、海老原さんの書を紹介した次第であった。

ところが、翌週(先週木曜日)のゼミが始まる前、Mさんが申し訳なさそうに近づいてきた。聴くと、先週自宅に持ち帰った海老原さんの書籍に、娘さん(小学校3年生)が自分の名前を書いてしまったとのこと。

 「私の本は全て『書き込み自由』だから気にしないで今度持ってきてね」

と安心させてあげたのだが、ふと思い至って、

 「自分の名前を書くくらい気に入ってくれたのなら、お嬢さんに贈呈するので返却しなくてよいですよ」

と、前言撤回した。

どうやら、お嬢さんは件の書を学童保育に持って行ってみんなと回覧しているのだとか。

 「社会モデルぅ~」

と叫んで喜んでいるらしい。

国語の副読本に載る前に、しかも小学生がその本で障害者との触れ合いを疑似体験できたということが、私には大いに嬉しい出来事だった。

※1 海老原宏美著、「わたしが障害者じゃなくなる日」、旬報社、2019年。

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

1件のコメント

  1. […]  先に私は、障がいの社会モデルについて言及したが(7月24日、31日配信)、海老原宏美さんが「私が障がい者じゃなくなる日」と期待した未来の姿は、社会の人々(私たち)の認識の変化によってもたらされるものだ。その意味では、今後展開される「包括ケアシステム」は、私たちの未来の認識の総意として、いわゆる「障がい者」だけにとどまらずに、さらにいえば疾患者や高齢要介護者だけにもとどまらずに、子どもや子育て夫婦やブラック企業の社員や貧困者も含めた、様々な生きづらさを感じる人たちが幸せになるための標準的な生活環境として昇華していってほしいと切に望むところである。 […]

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