WWNウエルネス通信 (6月26日):「本門寺暮雪」

先ごろ、JR大森駅から池上本門寺までの「池上道」を歩いた。

JR大森駅西口から数百メートル南に下ったところで右斜めに進む。途中は何の変哲もない住宅街なので、これといって見どころがあるわけではないのだが、江戸時代(もしかしたら鎌倉時代?)から整備された道なので、それなりに覚悟をもって観察する。

 と、そんな「覚悟」の肩を透かすように、そこここの公園や道端には、新しい石碑が立っていて、「古の東海道」との大きな文字の下に「此の道は時代により奥州街道、相州鎌倉街道、平間街道、池上往還などと呼ばれていた古道です」と彫られている。

 なるほど、由緒正しい道なのだなぁと(もしかしたら無理やり)感じさせる興趣であり、「いにしえの古道」を歩いていると実感できるのだ。

 ところで、この「池上道」を歩いたのは、11月9日に予定している「ゆかりウォーク~切絵図で歩く鬼平犯科帳11」のコース調査のため。このコースでは「本門寺暮雪」(文春文庫9巻)の物語をなぞって、田町から品川、そして大森から池上本門寺へと進む。ひとつの物語の筋に沿って歩くのもめずらしいが、途中「品川~大森」間は電車で移動するという、これまでのウォークでは初めての試みも実地調査した。

 なんで電車を使うのかというと、品川から大森までの約5kmの過程を省略するため。

「本門寺暮雪」は、三田・聖坂で出会った「凄い奴」をつけた井関録之助が、逆につけられて命を狙われるという筋書きで、最後は本門寺の石段で待ち伏せされた録之助と平蔵が、危機一髪のところで返り討ちにするという物語。

 そのほとんどは三田から高輪(一部、麻布)のエリアで展開されるのだが、最後のクライマックスが本門寺前の茶店から石段で展開される。その間、品川から本門寺までは、次のような簡単な記述で移動することになっている。

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高輪の茶店を出た長谷川平蔵と井関録之助は、品川宿をぬけ、大森まで来た。

ここで二人は、凄い奴の出現を半ばあきらめた形になった。

 「雪になりそうだが、録さん、せっかく此処まで来たのだ。本門寺へ参詣しよう」「いいですとも」…

 大森から池上の本門寺までは、一里に足らぬ。

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それまで、三田から品川で展開されていた物語の舞台は、全部で9行の記述を経て、本門寺に移るのだけれど、ことに「品川~大森」間はたったの1行(35文字)しかない。歩いたら5kmもある道のりなのに、その間、鬼平のゆかりとは出会えないので、思い切って「電車」で移動することにしたということ。

 それはさておき、一時は命脈が尽きたかと思われた平蔵が反転攻勢に切り替わるきっかけがこの物語の妙味。

 その「妙味」は、ウォークの中でも紹介できないが、興味を持たれた方は是非とも「鬼平犯科帳・第9巻(文春文庫版)」をご覧いただきたい。

Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男

http://wasedawellness.com/

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