先週水曜日(1月5日)。
今年初めてのウォーク「山手七福神」に向けて、8時半ごろに白金高輪駅を目指して早稲田から東西線に乗った。
私は「七福神ウォーク」に参加する出で立ちで、まだ松の内気分だったのだけれど、車内は「通勤電車」の混雑。途中の神楽坂から乗り込んだ人もいて、飯田橋で降りるときには、車内からはじき出される気分。私の前(扉側)からホームに出た女性は、さっさと歩き去って行く。
それでも、階段近くに乗っていたので、自分のペースで歩みを進めることができた。
改札口を出て南北線に向かう通路で、ふと気が付くと、周りの男女が私を追い越していく。
「ようやく私も自分のペースでゆっくり歩くことができるようになったのだなぁ」
と感慨を覚えたのだった。
もしかしたら、私を追い抜く人々は、今年初めの「通勤」だったのかもしれないので、「急ぐ」気持ちが満々としていたのかもしれない。「松の内気分の歩み」と「仕事モードの歩み」との違いなのかもと、色々と考えながら白金高輪に向かった。
ウォークの途中で、Nさんが、
「最近、身体の衰えを感じて…」
と話しかけてきた。よく聞くと、
「乳母車に抜かれたときはショックだった」
とも語る。私は、
「ゆっくり歩けるというのは良いことですよ」
と慰めるのだが、世間一般の常識としては、「歩みが遅くなる」のは良くない(衰えの)徴候だと受け止められるようだ。そういえば、高齢者向けの機能テストの中に、5mの距離を歩く時間を測定する「歩行テスト」というのがあるのだけれど、時間が短い(速い)ほど優れていて、「5秒(秒速1m)を下回ると横断歩道の信号が渡れなくなる」などと評価される。つまり、(もちろん私も携わってきた)高齢者の機能向上の指標としては「ゆっくりと歩ける能力」などというものは全く評価されていなかったということに、改めて気づいた。
でも私は、「ゆっくりと歩くことができるようになる」というのも、齢を重ねた老人が培うことのできる貴重な能力の一つなのではないかと、真剣に信じている。
だから私は、「普通ペースの歩行速度」を評価する際に、「速度が低い(ゆっくりと歩ける)こと」を優れていると評価できるような時代が来ないものかと、心の中では期待しているのだ。
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それはさておき、翌日6日は、冬休み明けの授業開始日。
朝一番の学バスに乗るために7時前に家を出て池袋に向かった私は、乗り換えの池袋駅構内で、私の周りの通勤客を追い越しながら歩いていることに気づいた。やっぱり私も「通勤モード」になると、ゆっくりとは歩けなくなるということか。
まだまだ、人生の修行が足りないようだ。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男