******* WWNウエルネス通信 (11月24日配信)*******
12月のウォーク(9:30~10:00受付):
12月1日&15日(水)「台東区:正岡子規の句碑めぐり」(6.4km)
集合:隅田公園(台東区)(最寄駅:東京メトロ銀座線 浅草駅 出口5)
解散:谷中霊園五重塔跡ひろば (ゴール最寄駅:JR線 日暮里駅)
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12月のウォークは「正岡子規の句碑めぐり」。
台東区には、正岡子規が短い晩年を過ごした庵(子規庵)があり、没後100年を記念して台東区にゆかりの句碑が区内各所に建立された。15か所(19句)すべてをめぐることはできないので、ここでは以下の7つの句碑を巡る。
・雪の日の隅田は青し都鳥(隅田公園・竹谷の渡し)
・牡丹載せて今戸へ歸る小舟かな(山谷堀公園・吉原への舟路)
・雑閙や(ザットウ)熊手押あふ酉の市(鷲神社・酉の市)
・薄緑お行の松は霞みけり(御行の松不動尊)
・木槿(ムクゲ)咲て繪師の家問ふ三嶋前(元三島神社)
・雀より鶯多き根岸かな(根岸の里・根岸小学校前)
・芋坂も團子も月のゆかりかな(羽二重団子・芋坂)
最後は谷中霊園で「渋沢栄一」の墓所を訪問する。
子規に上京を促し物心両面にわたって子規を支えた人物である叔父の加藤拓川は、自身も明治期の外交を担った人物であり、政財界の人物と広く交友があったようで、その中に渋沢も含まれている。しかし、今回渋沢墓所に寄るのは、単に解散場所の近くにあることが理由であり、渋沢と子規の間にはおそらくは縁はなかったものと思う。
ところで、最後の句碑がある「羽二重団子店」から谷中墓地に向かう道を「芋坂」という。子規が「芋坂も…」と呼んだ折には、まだ鉄道で遮断されていない坂道だったと思われるが、現在はJR5路線および新幹線と京成本線を下に臨む「芋坂跨線橋」で渡るので、私たちが昇るのは「階段」。でも、跨線橋から線路(京成本線と新幹線は高架線)を眺めると、山手の高台と下町が鉄道で分断されている姿がよくわかる。
ちなみに、解散最寄り駅の「日暮里駅」は、JRから京成・スカイライナーへの乗換駅であり、私はこれまで日暮里駅を利用したことは何度もあったけれど、乗り換え以外で利用するのは今回が初めて。「子規」だけではなく色々と意趣深いコースになったと思う。
皆様のお越しをお待ち申し上げます。
Wasedaウェルネスネットワーク会長・中村好男